風の盆
富山県八尾(やつお)町の、二百十日の風を鎮める「おわら風の盆」の優美に酔い感動した。踊り手の女性のいでたちは阿波踊りの姿に似て、目深にかぶる鳥追笠で全員美人を想像させる。艶やかな揃いの浴衣に必ず黒帯が特徴だ。阿波踊りと違って「おわら」は十数所作から成る盆踊りで、しなやかな曲線を描く女性の腕、手首、指先の動きが美しい。男性の踊り手は、やはり鳥追笠と勇壮な黒ハッピで力強く直線的に踊る。「おわら節」は三味線・太鼓だけでなく三弦の胡弓が優雅に旋律を奏で、男性の歌い手は裏声で、女性は地声で高音階を歌い上げる。
人口2万数千の八尾町の、古刹聞名(もんみょう)寺の門前町、数千名の中心街11町内が「おわら」を支える。坂と水の町、古風な家並みの町で、日本の道百選に選ばれた石畳の町内もある。圧巻は町内の名誉を賭けて2日間競い合う競演会だ。昔は聞名寺境内で行われたが、今は小学校校庭に指定席7千と自由席のパイプ椅子を並べた大舞台で、各町内数十人の幼児、小中高生、成年男女が美を競う。競演の主役はスタイルと踊りで町内選りすぐりの25歳以下の女性、27-8歳以下の男性20-30人だ。猛練習できない帰省組は失格で、よくこれだけ粒揃いの若者が町に留まっていると感心してしまう。選ばれる名誉のためにスタイルを磨く人も居そうだ。私の感動の源は若さへの憧憬と耽美だったかも知れない。
各町内では午後3時から午前3時過ぎまで、あるいは現役が総出で「町流し」をし、老若男女が飛び入り歓迎で巨大な輪になって踊り、あるいは数人が即興で見せ場を作る。観光バス客が帰った後の真夜中以降が本当に「おわら」を楽しめる時間と聞いて、夜型のワイフは張り切ったが、朝方の私に妥協して午前1時には満喫して宿に帰った。
今年初めの宴席で、得意筋のテレビ愛知K常務から日本文化の蘊蓄を承るうちに「八尾町に風の盆という素晴らしい祭がある」と伺い、偶然思わぬ地名を聞いた驚きから「エッ?同級生が町長をしている八尾町?...」と言ってしまった。吉村栄二氏である。東京大学電気工学科を卒業して間もなく家業の材木店を継ぐ必要から帰郷され、一昔前に町会議員の9割が推す造酒屋の候補を町民人気で抑えて町長に当選されて以来、飾らぬ人柄と人情味が敬意を集めている。美しく流れる「おわら」は全国的に有名なだけに宿を取ることが至難で、K氏は未だ見学は夢に終わっていると言われた。そんなに素敵な祭なら是非見たいものだと私も欲気を起こし、吉村町長に「何とかして...」と泣き込んだ。幸いご親切な紹介でK氏ご夫妻と我々夫婦が八尾町に泊めて貰えることになった。
風の盆は毎年9月1-3日と決まっている。今年は1日の土曜夜は混むから2日がいいとの話で、小松空港から金沢で前泊し9月2日に八尾町に入った。3日(月)は米国は祝日なのが幸運だった。K氏ご夫妻が遠慮されるのでワイフと二人で吉村氏のご自宅を探し当てたが、佐久間良子氏への感謝状贈呈式があるとかでご多忙、出直して当方の都合で短時間ながら暖かいおもてなしを頂き2年間のご無沙汰を挽回した。後でワイフの曰く、「思い出したワ、電気工学科のダンスパーティーでお会いした」と。
元禄以来の伝統の「おわら」だが、大正から昭和初年にかけて大刷新が行われている。今は「おわら資料館」になっている広い家の名門医で「おわら保存会」会長だった人が私財を投入して、「おわら」を今日の洗練された皆の祭に磨き上げた。芸者衆だけの踊りだったのを自らの深窓の令嬢を先頭に立てて皆の踊りに変え、芸者向きの難解な踊りを12所作の美しいが易しい踊りに再編した。今日の豊年踊り=旧踊りである。当時素人娘が人前に出易いように鳥追笠にしたのかとは私の勘ぐりである。
下って昭和4年の東京は三越の富山県物産展に「おわら」が招かれたのを機に、高浜虚子を招聘して歌詞を練り直し、日舞若柳流家元を長期に招いて振付を改め、新たに四季踊り=女踊り、案山子踊り=男踊りの二つを新踊りとして導入した。四季の歌詞は詩人小杉放庵だという。そう聞いて「おわら」の手の美しさには日舞があったのかと思い当たる。
「おわら風の盆」を見てワイフも私も少し若返ったようだ。 以上