1963年11月22日にJohn F. Kennedy (JFK)大統領を暗殺したのはLyndon B. Johnson (LBJ)副大統領だったという説得力ある本を読んだ。
「Blood, Money & Power: How LBJ killed JFK, Barr McClellan,
Hannover House, 2003、pp400」
JFK暗殺に関する本は多いが、この著者はLBJの顧問弁護士事務所に1996年に入社し、先輩から実話を密かに聞かされた弁護士だ。
LBJは投票箱「Box 13」を捏造させた不正選挙で僅差で1948年にTexas選出上院議員となり、民主党のリーダにのし上がった。顎で使っていた9歳年下のJFKが1960年の民主党大統領予備選に出て、出馬のタイミングを失ったLBJは不本意ながら副大統領候補として選挙に勝ち1961年1月に就任した。しかしLBJには汚職の噂が絶えずJFK-LBJ政権の人気に影響した。1964年の再選選挙を控えてTexasでの人気挽回のため1963年11月、JFKはLBJと共にTexas各地の遊説に出た。Dallas市のDealey Plazaにオープンカーで差し掛かった時、教科書倉庫ビルからの銃声と同時にJFKは即死した。
そのビルに居たマルクス主義者の倉庫従業員Oswaldは銃を残して外に出たが逮捕され、移送のため連れ出された途端にRubyという男に射殺された。政治圧力でFBIも、その後1年掛けて調査したWarren委員会も、Oswald単独犯行・Ruby単独犯行と結論付けた。LBJは1964年の大統領選には勝ったが、JFKが収束しようとしたVietnam戦争を拡大して不人気となり、1968年の大統領選は辞退したが、重い鬱病に罹り1972年に死去した。後年私は教科書倉庫ビルの前に立ち、JFKの脳みそが後方に吹き飛んだ残酷な映像を思い出し、Oswaldがこのビルから撃っただけではないと確信した。
著者によればJFK暗殺の主役は、LBJ、LBJと青年時代からの刎頚の友でTexas法曹界を牛耳ったClark弁護士、Clarkの手先で殺し屋のWallaceの3人だ。脇役としては、Clarkの腹心ながら彼の悪行を著者に語ったThomas弁護士、著者が名前を特定できずJuniorと呼んだ殺し屋の2人である。
以下著者の推測*、証拠はあるが公式見解とは異なる#、または公式見解と同じ@、の別を記号で区別しよう。Wallaceは狩猟の名手で海兵隊を怪我で除隊した。大卒後首都で官僚になった。ところが妻とLBJの実妹と或る男がスキャンダルを起こし、LBJは選挙への影響を恐れた*。Clarkは出世街道のWallaceを呼び戻し、「怒れる夫」を演じ男を射殺させた@。死刑か無期刑のはずが、Clarkの工作で#執行猶予付き5年で済んだ。
Estesという男が綿花作付割当や政府補助金で不正を働き、力を借りたLBJに8%の手数料を払っていた#のが噂となり、農務省は捜査官を派遣した。LBJはClarkに依頼*してWallaceに捜査官を脅迫させたが*、頑固さに怒ったWallaceは自殺を装って射殺した@。司法長官Bob Kennedyが乗り出し捜査が再開されるとEstesは「LBJに言いつけるゾ、前任者の運命は見てるだろう」と脅した。Estesと、LBJの秘書氏の2人の汚職が公になり、1964年の大統領選ではJFKはLBJを副大統領にしないという噂が立った。LBJは権力を失えば直ちに訴追される危険を感じ、自分が大統領になって身を守るしかないと、1961年にClarkにJFK暗殺計画立案を依頼した*。
Clarkは狙撃者WallaceとJuniorに大統領護衛官の身分証明書を持たせ#、人身御供のOswald#に教科書倉庫ビルでの仕事を斡旋し*、銃を購入させた@。Oswaldは退役軍人を試し撃ちしたがかすりもしなかった#。11月22日当日朝、Wallace#とOswald@は教科書倉庫ビルの6階で、Juniorは車前方の植え込みで待ち構えた#。JFKを狙ってOswaldは2発撃ったが、1発は道路を削り#、他はTexas州知事に当たった#。Wallaceの1発#はJFKの肩甲骨で跳ねて喉に抜け、Juniorの1発*がJFKの頭を砕いた。Wallaceは現場に指紋を残したが#、Juniorと共に銃を畳んで護衛官に変身して去った#。
Clarkは著者を代理人として暗殺の報償を石油会社から取り立てたが集まりが悪く#、共犯者への報償が滞り*、拘ったWallaceは排気ガスが車内に漏れる故障のため運転中に事故死した。日本では「ポアする」と言った人が居るがClark達は「take care of him for good」と言ったそうだ。
目から鱗が落ちるように初めてJFK暗殺事件が納得できた。 以上