米メディアは、Eugene Kleiner氏が11月20日に80歳で心臓病で逝ったことを伝え哀悼の意を表した。Kleiner Perkinsという社名を聞いたことのある人は多いはずだ。正確にはKleiner, Perkins, Caufield & Byers = KPCB という米国のVenture Capital(VC)の名門だ。日本のVCが多くは株式会社であるのに対して米VCはPartnership=組合になっている。創立者4人の名を連ねた社名だ。つまりKleiner氏は今の私の商売の大々先輩に当たる。それだけではなく、彼は技術者として、経営者、VCとして、Silicon Valleyの基礎を築いた人として尊敬を集めている。
私は1980-90年代にKPCBを何度も訪れたが、残念ながら一度もKleiner氏に会ったことはない。この頃から後輩に譲ってほとんど出社せず、オフィスから近い高台の高級住宅地 Los Altos Hillsに引っ込んでいたようだ。初めてKPCBを訪れた時には恥をかいた。「オフィスはSan FranciscoじゃなくてMenlo Park市の2750 Sand Hill Road だよ。判るね?」と、今は引退した某General Partnerに言われ、見当もつかなかった私はキョトンとしてしまった。後で知った所ではKPCBを嚆矢としてSand Hill Roadには有名VCが軒を連ねていて、いやしくもITでメシを食っている者が知らないはずはなかったのだ。以降この人と、まだ頑張っているインド系のGeneral Partnerの二人と仲良くなり、Palo Alto市のStanford大学にも近いKPCBに度々訪問して業界動向、技術動向の情報交換をした。交換がポイントで、お土産がないと絶対会って貰えない人達だった。
Kleiner氏は姓から想像できるようにオーストリア人だ。ナチを嫌って第2次大戦前に米国に逃れ、New YorkのPolytechnic大学で機械工学を学び、New York大学のIndustrial Engineeringの修士をとった。後年Polytechnicから名誉博士号を受けている。この度献花を受けない代わりに同大学に寄付してくれとの要請がなされている。
Kleiner氏はShockley博士に雇われて東海岸からPalo Altoに移り、Silicon Valleyの歴史に必ず書いてある有名なドラマが始まる。Shockley氏は1948年Bell研でTransistorを発明した功績で1956年のNobel物理学賞を受賞した。同年Beckman社の支援で独立し、故郷 Palo Altoに半導体の研究所を設立して、Kleiner氏と、後にIntel社長として日本でも名が売れた故Robert Noyce氏を含む8人の優秀な若者を採用した。当時半導体を教える大学は無かったので、優秀な人材を確保して半導体技術を叩き込んだ。ところが完全支配を求めるShockley氏の強烈な個性に若者は反発しBeckman社に改善を要求して果たせず、居づらくなって転職先を探していた。そこにNew Yorkの投資銀行家が「転職もいいが君達自分で起業したら?」と持ちかけ、東海岸のカメラ会社Fairchildをスポンサとして見つけてきた。Shockley氏のいう「8人の裏切者」は、1957年にPalo AltoにFairchild Semiconductor社を設立した。投資銀行が20%、8人が10%ずつ出資した小さな会社で、Fairchildは当初出資はしなかったが1年半分の資金を貸付け、成功の際の買収権を得たが、これは後に行使された。これが米国のベンチャ起業第1号で、社員持株の先鞭と言われる。
同社は発展し社員株が巨利を生んだので、それを元手に、1961年に初めて西海岸に誕生したVCの助けも借りて、自分の夢を追うSpin-Off(独立)が相次ぎ、Silicon ValleyのVCとSpin-Offの伝統ができ、Fairchildで生まれた技術を金に換える企業文化がSilicon Valleyに広まった。いわゆる"Fairchildren"のNS(1967に再出発)、Intel(1968)、AMD(1969)などである。Kleiner氏は半導体会社ではなく、Tom Perkins氏と共に1972年にVCのKPCBを設立した。以来KPCBは数百社に投資し多くの企業上場を果たした。今KPCBのHome Pageの冒頭には誇らしげに、Sun、Juniper(Routerメーカ)、Amazon、Genentech(バイオ)、AOL、のロゴが掲げられている。DECに吸収された高速コンピュータ会社Tandemも以前はここにあった。
1990年にNoyce氏が62歳で逝った時と違って、日本のメディアはKleiner氏の逝去を伝えないが、氏のITの世界への貢献はいささかも劣るものではない。時代の区切りを象徴するようだ。氏のご冥福を心から祈る。 以上