恋人岬
伊豆西海岸をドライブして恋人岬で日が暮れた。土肥町の最南端、賀茂村との境界に近く海に突き出た標高百米ほどの岬だ。国道136号線に面した駐車場に車を止めて歩道を10分ほど歩く。歩道の入り口にガードマンがいて恋人同士でない人は入れない。私どもは45年来の恋人同士だと言ったら入れてくれた。勿論以上2行は赤嘘の冗談だが、そう言いたくなるほど辺りは皆可愛い恋人同士で、カツカツとハイヒールの足音が続いた。
どんどん下る舗装歩道を帰り道の難儀を予想しながら行った。様々な絞りが入った椿の花が夕暮れに浮かぶ。日没時刻を予想し損なってドライブの途中で真っ赤な日没を見てしまったので、まだ残照の綺麗な内に岬に着きたいと気があせる。かなりの人が上ってくるのは、今日没を見終わって帰る人と見えた。森の遊歩道を抜けてパッと開けた見晴らしの良い場所に出た。駿河湾を独り占めした気分になる。近くに展望台が一つあり、ずっと下の遠くに、岬の先端に位置する展望台がある。その間は低めの森の梢の上を歩けるように木道が設えてある。
暮れなずむ海の色を愛でつつ木道を下り先端の展望台に立てば、展望角200度ほどの水平線が霞み、残照が僅かに紅を差す。御影石の鐘柱に直径30cmほどの鐘が下がっていて、紐を振って鳴らせば大海原に澄んだ音が響き渡っていく。恋人同士を表す抽象彫刻像が残照の空に浮かぶ。一組の若者があずまやでじっと動かない。ワイフの写真を撮っていたらシャッターを押して下さいと二組の若いカップルに次々に頼まれた。素晴らしい思い出にしなさいよ、私達のように幸せになるんですよ、と念じつつ構図をとる。雰囲気を楽しんでから、ワイフを気遣いながら木道をゆっくり登って上の展望台に戻り、そこではチャペル風の回転式の鐘を派手に鳴らしてみた。また森を抜けて駐車場に戻った頃には日はとっぷりと暮れていた。
恋人岬で日没を見るはずが遅れてしまったのは理由があった。恋人岬と賀茂村の港を挟んで対峙する賀茂村の黄金崎をまず訪れた。海岸の断崖がここでは黄金色の砂岩で、それが夕日に美しく輝いていた。海からこの断崖を見上げた三島由紀夫氏の文が石碑になっている。太陽はまだ仰角10度にあった。夕日を見る観光客を乗せて来たタクシーの運転手に日没時刻を尋ねたら「あと2時間、6時20分位ですよ」と自信ありげに断言した。そりゃ嘘だろうと売店のご主人に聞いたら、4時50分と言われた。それはまたいくら何でも早すぎる、5時に位置に付いて待てば丁度よいのではないか、と私は勝手に判断して近くの干物の売店で買い物をしてから恋人岬に来た訳だ。結果的には売店のご主人が全く正確だったにも拘らず、私が愚かにも無意識に二つの数値を重み平均してしまっていた。
黄金崎に来る途中で通りがかった安良理(あらり)部落の入江でふと見ると、さっき写真で見たばかりの加山雄三氏所有のクルーザ「光進丸」が係留されていた。近くの売店で確認すると、正しくそこが光進丸係留の定位置で、加山雄三氏は家族や友人と一緒によく来るそうだ。その写真を見たのは堂ヶ島の加山雄三Museumだった。映画・歌・絵画・陶芸など多才な氏の作品が展示されている。若大将の映画に興味がない私はあまり期待しないで入ったのだが、画家加山雄三氏の才能に感心した。油絵具を厚化粧しない素直な写実的な明るい画風だ。気に入ったので1枚のサイン入り複写ポスタを買った。半ば馬鹿にして入場し大いに尊敬して退場した。
夜道をドライブしながら考えた。恋人岬は確かに展望の素晴らしい岬だが、伊豆半島ならどこにでもある岬の一つに過ぎない。国道から10分も歩かねばならぬという不利もある。それを恋人岬と名づけ、遊歩道と木道を整備し、椿を植え、結婚式のチャペルを連想させる鐘を配置した企画者はすごい。地主だろうか町役場の誰かだろうか。森の遊歩道を、日常の世界からロマンスの世界に渡る通路と位置づけることによって不利を利点に変えた。だからパッと開けた後の先端部分は、もはや森の中を行く遊歩道ではなく梢の上を夢心地で歩く木道でなければならない。泉鏡花は小説「高野聖」で飛騨の森を抜けて奇怪な世界に入り込んだ僧に語らせ、読者を別世界に引き込んでいるが、同じ技法がここでは具現化されている。 以上