あと十年もすると、東京工科大学は野球の東京六大学より上を行く大学になるだろう。但し六大学が百貨店であるのに対して工科大は専門店街だ。暖簾を大事にする老舗vs進取の気に富む新興商店かも知れない。なぜ株が上がる予想をするかと言えば、工科大には「経営」と呼ぶべき明確な戦略がある。また何故かその戦略を実行する金がある。創立者の片柳鴻氏の83歳の誕生日10月8日に合わせた新施設完成・新学部等開設の記念行事に招待されてそう思った。行事には石原都知事、八王子市長、元東大総長で産業技術総合研究所長の吉川弘之氏、米中の提携大学代表などのVIPを含めて千人が参加した。日経ビジネス7月28日号の「頼れる大学」ランキングには、慶大、早大、京大、東大、東北大、上智大...と並んだが、上智のようにやがて工科大もこのリストの上位に入って来よう。
片柳氏は昔東芝を退職して蒲田に電子工学の専門学校「日本工学院」を創立した。北海道と八王子にも専門学校を建て、1986年に東京工科大学を八王子に開校した。この4校が片柳学園という冠を頂く。工科大を有名にした1996-9年の学長高橋茂氏は、旧電気試験所(今は産業技術総合研究所)で日本のコンピュータの歴史を拓いた人だ。跡を継いだ現学長は、高橋氏の電気試験所以来の愛弟子で慶応藤沢を学部長として立ち上げた相磯秀夫氏だ。学長以下生粋の大学教授ではない教授が多く、そのせいかむしろ伝統的大学のアンティテーゼを追及しているように見える。
その典型が今回の学部の改変だ。伝統的大学では学部学科の改変、特に廃止は滅多に無い。これに対して工科大では、2002年度入学までは工学部があって、電子工学科、機械制御工学科、それにコンピュータ関連の学科が二つあった。2003年度入学者からは工学部を「発展的に改組」してバイオニクス学部とコンピュータサイエンス学部にしてしまった。虚心坦懐に見れば電子や機械を潰してバイオを始めたように見える。これからはバイオだと「専門店」は見極めた訳だ。それが出来てしまうからすごい。
そのために工科大は250億円とやらをかけてバイオの拠点となる新棟を建て、世界的権威である軽部征夫教授を東大から理事・学部長として招聘した。バイオニクス学部の受験者は、定員360名に対して3,500名が押し寄せた。上記2学部(とメディアの大学院)の新設、および上記新棟(と第2厚生棟、第3学生会館)の完成を祝う記念行事が今回行われた訳だ。
新棟は、16階建ての主棟と5階建ての両翼からなる。両翼は研究室と教室で、主棟は産学官連携の舞台として設えられた。4フロアに産業技術総合研究所のバイオニクス研究センタが入居している。独立行政法人になったとはいえ旧国立研究所が私学に入るのは前例がないそうで、相磯学長と軽部学部長の信用と、吉川研究所長の英断があったであろうことは想像に難くない。他フロアは企業で満室と聞いたが、回ってみるとまだ空室が目立った。入居が遅れているのかも知れない。学生がこの研究所や企業でインターンができることと、バイオ起業の支援を狙っている。
この軽部教授とジャーナリスト野中ともよ氏の80分の公開対談が面白かった。昔野中氏と小さな対談をしたことがある私は、プロである野中氏の回転とウィットには今更驚かなかったが、それに負けていない軽部教授には驚嘆しつつ大いに笑った。従来は農・医・理・工などの学部で取り上げてきたバイオを世界で初めて統合的に扱って守備範囲の広い専門家を育て、しかもBiology+Electronics+Mechatronics = Bionicsを情報工学として取り上げ、新境地を拓くのだという。2010年には薬の半分は、個々人の遺伝子を参照して処方されると予測されているそうだ。野中氏が、バイオが進歩すればするほど倫理問題が難しくなる、ジャーナリストの啓蒙が必要、とチャレンジすると軽部教授は「その通り。原子力みたいになりたくない」と応じた。軽部教授が「役立つ卒業生を出しますから安心して雇って」と聴衆に言うと野中氏が「就職でなく創業できる人を育成して下さいよ」と注文をつけた。良い時代センスだ。
新棟の正面には芸術家でもある片柳氏が自ら制作し「発信」と命名した噴水があった。世界に発信するのだという意図が明示されていた。 以上