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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2007年 4月 4日
             甲州金山

 武田信玄の強さの一因だったという甲州金山に興味を持った。本当は身延山の樹齢400年の枝垂れ桜を見に行ったのだ。身延山には何度も足を運んだがこの桜の季節ではなく、ポスタなどを見るにつけ一度は満開を見たいものだと思っていた。今年は絶対見てやるぞと心に決め、毎日写真をアップするWebサイトを見つけて注視し、引退の身の特権を生かして3月26日月曜日に訪れた。混むとやや離れた駐車場からシャトルバスになるが、この日は午前中に到着したので、50mほど駐車待ちをしたものの一番上で近い駐車場に入ることができた。桜は丁度満開で圧巻だった。桜の老樹が若々しい花をつける様には、いつも我が身に擬えて力付けられる。

 その前日のNHK大河ドラマ「風林火山」の終わりに、武田信玄の力の源泉として「湯之奥金山」が紹介され、砂金を掬い取り=Panningする映像が出た。調べたら身延山の近くで、帰り道に使えるルートと分かった。甲府方面から身延山に下る国道52号線は、3月とあって数百米ごとに工事による片車線交互通行があったので、帰路ではそれを避けて国道300号線のジグザグで山を登り本栖湖に出て河口湖から帰ることは至当と思われた。おかげで本栖湖・精進湖に映る富士の雄姿を堪能できた。

 国道52号線から国道300号線に入って間もなく下部温泉という寂れた温泉町があり、そこに立派な「甲斐黄金村 湯之奥金山博物館」があった。昔ここに「湯町」があり、少し山に入った所に「湯之奥」の部落があり、その奥に金山が発見されたため「湯之奥金山」と呼ばれたそうだ。博物館には当時のジオラマ、道具、採掘と精錬の技術、甲州金と呼ばれた四進法の金貨などが展示されていた。10年前に建てた鄙には稀な立派な博物館では、入場券に連番を打っていて、1万人ごとに記念品が出るのだそうだ。我々の連番は17万なにがしであった。なんだ、1日平均数十人か。

 博物館の呼び物は砂金掬い取りだ。川砂に金片を混ぜたプールから洗面器状のPanで砂金を取り出せば持ち帰れる。美女が手ほどきしてくれたがうまくはいかず、ワイフと2人で15分ほどで20数片を採取した。

 世界のどこでも、金の採取は金塊を拾い集めることから始まり、それが尽きると川で砂金の掬い取りが始まり、それが無くなると山に坑道を掘って山金を得た。湯之奥は山金だ。そもそも金は温泉の産物だ。入浴するのが温泉で、地質学では熱水という。熱水が鉱物を僅かに溶かして岩の割れ目を通って地表近くに上がってくる。溶解物の多くは食塩など水溶性の物質で流れてしまう。微量の酸化シリコンSiO2が含まれ、これが血管内のコレステロールのように熱水の流路に溜まり、水晶として再結晶する。或いは高温下では水晶にならず乳白色の岩石である石英になる。この石英の中に金が微粒子または金塊として析出する。だから金山の坑道で鉱脈と指摘された部分を見ると、乳白色の石英が5cm厚だったりもっと厚かったりするが、坑道の壁に走っていて、坑道はそれを追いかけて伸びていく。

 金は温泉と密接な関係があるが、現存の温泉とは限らない。何百万年も前の温泉地帯が隆起して山になったのが金山だ。火山大国の日本は、世界のどこよりも金の産出量が多い土地柄だ。東京周辺では伊豆と甲州だ。Marco Poloが聞いた黄金の国ジパングは嘘ではなかった。しかし戦国時代・江戸時代に世界のどこよりも産出して掘り尽くしてしまったから、今や資源小国日本に金はもはやほとんど無い。

 甲州の金山は2群ある。15世紀半ばから湯之奥金山と総称された3つの金山で産金があり、周囲10箇所ほどに広まった。16世紀から黒川金山の採掘が始まり、十数か所に展開された。奥多摩・丹波街道国道411号線を西行すると、甲州市・旧塩山市に入って間もなく道は南にカーブして塩山の町に至る。このカーブは鶏冠山=黒川山の麓を巡っている。昔この辺りの川底に光るものを見つけ、金だと思って取り上げたら雲母だった。

 当時は鉱石を焼いてもろくし、金槌で砕いて石臼で磨り潰し、あるいは石のオロシ台の上で磨りおろし、岩を微粉にした上で砂金と同様に掬い取ったものらしい。California州と豪Victoria州のGold Rushの町の金片と並べて、その300年も前に大名が管理した甲州の金片を置いてみた。以上