XIV=エクシブに初めて泊まった。XIVはローマ数字の14に因んだタイムシェアリング・リゾ−トの全国24ヶ所のチェーンだ。リゾートマンションの部屋またはフロアを14人または28人で共有し、14年間固定カレンダーで年間26泊または13泊できる譲渡可能な\6〜39百万円の会員権だ。宿泊権は他の日・施設と交換可能だが、高い会員権は交換希望者に恵まれる。
京都は比叡山山麓の八瀬にある「XIV八瀬離宮」の宿泊権を持つ某会員が急用で行けなくなり、紅葉の最中で中々宿が取れない時期だから誰か代わりに行く人が居れば譲るという話を間接的に頂いた。ご当人を知らないのだが遊び人と見なされたのだろう。京都で新幹線を降り、東福寺・出町柳・宝ヶ池で3回乗換えて八瀬までは小1時間だ。出町柳以北の叡山電鉄は1両のワンマン運転で、無人駅では運転手が集金する。終点の八瀬比叡山口に隣接するように、広大な敷地を贅沢に使ったXIV八瀬離宮があった。
水をテーマにした建物だ。入口からロビーまで百米は水の中の渡り廊下を行く。離宮は水の中なんだ!! 百米四方に2cm程薄く水を張った技術に感心した。会員の名前を騙らねばならぬのかと当初心配したが、正々堂々で大丈夫だと言われた。実際不案内な非会員が相当入っている様子だった。生涯泊まったことがないような広い部屋に入った。大きな寝室の他に、それより広い居間と、和室がある。調度品も贅沢だ。無駄と思えたが、無駄まで含めて会員に売ってしまえば、償却費が重荷になる訳ではない。超デラックスなリゾートホテルのようだ。但し非会員が多かったせいか客筋は一流ホテルとは違う感じだった。サービスは良いのだが滅法のろい。
ワイフが一休みしている間に私は、比叡山へのケーブルカーの駅周辺の今盛りの紅葉を探勝した。今でこそ鄙びてはいるが、昔は京都から比叡山への唯一の登山道だったから、かなり盛んな土地柄だったようだ。小水力発電所跡、高価なラジオを皆で聞いたラジオ塔、平安遷都千百年記念塔があった。ケーブルカーで下りてきた夫婦に、山の紅葉を尋ねたら首を傾げたので、翌日XIVに荷物を置いて比叡山の紅葉を見ようと思っていた気持が萎えた。その後夫婦揃って近くの古刹蓮華寺に紅葉を見に出掛けた。鯉が遊ぶ池に真っ赤な紅葉が映って美しい。電車をまた乗り継いで、市内で夕食をとって帰ったら、XIVの夢のような電飾が迎えてくれた。
ゆっくりと朝食後、山麓の斜面に造成された「瑠璃光院光明寺」の拝観に出掛けた。「来るな」と言わぬばかりの1人2千円の拝観料に逆に興味を持ったのだが、料金が惜しくない絶景の紅葉だった。壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(天武天皇)が「矢背=八瀬」の「釜風呂」で治したという。明治の元勲三条実美公は、その場所の庵を「喜鶴亭」と名付け、命名額を下されたと。大正末から昭和初めにかけて大改築が行われて、囲碁本因坊戦の舞台の料亭になったが、今は宗教法人光明寺が寺として管理運営している。頭上は深紅の紅葉、足元は深緑の杉苔の石段を登り、鯉池を石橋で渡ってお坊さんに迎えられた。2階に上がると縁側と窓から360度の眺望があり、今盛りの紅葉と緑の対照が見られた。1階に下りて下からそれらを観賞する。本堂を経て一段低い別棟の茶庵「喜鶴亭」からは、「臥龍の庭」という山水の庭が鮮やかに色付いたのを拝観した。ここを見てしまうと他の紅葉の名所が見劣りするほど見事な眺めだった。
意外にも渋滞していなかった大原まで往復した。三千院では本堂前の広場で杉並木と苔とまだ若い楓の木々の紅葉が綺麗だった。観音堂では昔ワイフが寄進した5cmほどの小観音像に再会してきた。寂光院では入口の石段が紅葉のトンネルになっていた。前庭の楓も見事だった。XIVで昼食後、修学院の山手を探訪した。駅名も地名も一乗寺なので、そういう寺があるのだろうと思っていたが、平安時代にはあったということだった。如何にも京都らしい。曼珠院、円光寺・詩仙堂はいずれもかなり前に訪れたことがあったと現場で気付いたが、相変わらず美しい紅葉があった。
思わぬ幸運で取れないはずの時期に宿が確保出来、紅葉の京都を満喫できた。特に瑠璃光院は望外の満足だった。「東京で紅葉の名所は?」と問われて、高尾山とも新宿御苑とも言い兼ねて絶句した。 以上