今年は桜の季節に海外に出たので、ろくに桜の観賞は出来まいと覚悟していたが、幸いそうでもなく、良い桜を見ることが出来た。
京都は竜安寺の裏山のような位置に「原谷(はらだに)苑」という遅い桜の名所があると聞いて、久し振りの京都訪問のついでに4月15日に行ってみた。戦後に引揚者が開拓団として拓いた土地だったが、開拓の傍ら山に植えた桜が数十年経って今名所になった。ほとんどは枝垂桜だが、緑の花を咲かせる御衣黄や、仁和寺起源の背の低い山桜風の御室(おむろ)桜、その他の桜も混じる。ここの特徴は、桜だけでなく椿、日向みずき、ツツジ、石楠花、雪柳など色とりどりの低い木が植えられており、色の取り合わせが美しいことだ。枝垂桜は花期が長い上に、山の上で花が遅いから、例年4月10日前後から下旬まで花盛りが見られる特徴的な名所だ。
仁和寺にも立ち寄り御室桜に直行したが、既に葉7割、花3割といった状態だった。しかしその上に覗く五重塔と合わせると良い写真になった。京都高瀬川の染井吉野の桜並木は名残の桜になり、花はパラパラだった。
某氏のご紹介により、16日朝は京都は妙心寺退蔵院の朝粥の会に参加した。今春のJRの「そうだ 京都、行こう」のポスタはこの退蔵院の枝垂桜だ。朝寝坊のワイフも一念発起して8am開門前に、山陰線花園駅前の退蔵院を訪れた。花盛りの時期には毎朝30-40名が参加したそうだが、盛りを過ぎて僅か3夫妻6名だった。代わりにJR募集の三十数名の団体が入ったが、場所もスケジュールも違ったし、一般参観は9amからだったので、庭園は一時我々6名が占拠した。退蔵院は従来あまりPRしなかったので、知る人ぞ知る穴場だったというが、JRのお陰で一躍有名になったそうだ。
退蔵院の庭園は余香苑と呼ばれる。入口にある余香門を入って直ぐ1本の枝垂桜がある。これが満開でピンクに輝く写真をJRは使った。既に盛りを過ぎて花は白くなり、小さな葉が出掛かっていたが、充分に綺麗だった。枝垂桜の右には黒い砂を使った枯山水の「陰の庭」、左には白い砂を使った「陽の庭」があり、それらの上に枝垂桜が垂れ下がっていたのが珍しい美観だった。枯山水と桜は矛盾のようにも思えるが、竜安寺の有名な石庭の塀の外の枝垂桜がアクセントを添えた写真をよく見掛ける。 その先には米ツツジ、滝のある川、池、藤棚が美しく配置された広大な庭があった。我々6人はその先の客殿に案内され、庭を眺める席で粥の朝食を供された。そこにはもう1本の枝垂桜と、黄色ではなく赤い紐状の花を一杯に付けたアカバナマンサクがあった。こちらの枝垂桜は多分日当りの関係で幸い満開をあまり過ぎていない。至福の贅沢な朝食だった。
4月19日には満開の臥龍桜を見て来た。岐阜県高山市一之宮町のJR飛騨一ノ宮駅前にある。駅の北側の古刹大撞寺(だいどうじ)前の斜面に横たわる龍のような樹形だ。地元の説明によれば樹齢1,100年、幹回り7.3m、枝張り30mの江戸彼岸桜の大樹だ。今は2本の木になっているが、親木の枝が下に垂れて土に埋もれ根を下ろしたという。言われてみれば親木にはそれらしき枝の跡があった。共に樹勢が盛んなのが良い。
駅の南側の「宮川」のほとりに飛騨一之宮「水無(みなし)神社」があった。大撞寺の僧が川の流れがうるさくて念仏に支障があると訴えたので神様が水の流れの大部分を伏流に変えたので水無神社なのだと。大規模な社殿ではあったが、飛騨第一の宮としては意外に鄙びた神社だった。
巨樹・古樹に並々ならぬ関心を持つ私は、兼ねてから臥龍桜の花を見たいと思っていた。昨年行くはずが果たせなかったことを前夜ベッドで急に思い出し、朝になってから計画した。ワイフが高校の同級会で一晩留守をするので、独り家に居るよりはと考えたのだ。最初は列車で行こうとしたが、ワイフを送り出してから出発すると、名古屋まで新幹線で行っても8時間も掛り日帰り出来ない。どうせ1泊するなら車で行くかと、途中でホテルに飛び込む準備をして出掛けた。しかし中央道→松本→中ノ湯→平湯→高山→ 一之宮町と意外に順調に進んで往路に4.5時間、帰路は夕食を採ったのと渋滞で5.5時間掛ったが、楽勝で日帰り出来、大満足だった。
今年も桜を充分堪能出来て幸せだった。 以上