数年前の山陰旅行で松江市の玉造温泉に泊まった際、地元花仙山から採掘された緑の碧玉(へきぎょく。Jasper。不純物で着色した石英SiO2)が古代の勾玉に加工されて日本全国に広まったことを知った。土産物店には輸入石材で作ったカラフルな様々な勾玉が安価で並んでいたが、古い温泉街にあった伝統店の隅の方に地元石材の暗緑色の勾玉が何十倍もの価格で出ていた。出雲石、玉造石、花仙石などと呼ばれるそうだが、資源枯渇で採掘権を持つ当店でも今は採掘しておらず、昔掘った石材を細々と加工しているという話だった。こういうものは時を経れば貴重になり高価になるものだから、旅行記念にワイフにペンダントトップとして購入した。
応援している指紋技術開発会社が、Magatamaという商品を発売した。山椒は小粒でピリリと辛い腕時計本体ほどの円盤型で、勾玉型キーホルダや腕時計型など様々なデザインの枠に嵌め込んで使用する。指紋を読み取りBlueToothでPCにつなぐ。個人の安全をしっかり守る貴重な存在でありたいという社長の思い入れで、同じく護身用の呪具だった勾玉に因んでMagatamaと命名された。企業等の指紋読取回路の無いPCへの指紋Log-Inなどに需要がある。その縁で社長が経済支援をした古美術雑誌の勾玉特集号が発売された。「竃レの眼」の同名の月刊誌で、創刊40周年記念の9月号だ。その特集号の記事とWikipediaなどで勾玉を少々勉強してみた。
勾玉(日本書紀)または曲玉(古事記)は日本独特のものだ。縄文時代早期の遺跡からも出土するという。縄文時代中期までのものは、蛇灰岩(蛇紋石=(Mg,Fe)3Si2O5(OH)4と方解石=CaCO3の混合)または滑石=Mg3Si4O10(OH)2など加工し易い石材で作られ、専ら東日本の遺跡に限って出土するという。縄文時代後期・晩期には西日本にも勾玉が分布するようになり、形も材質も多様化した。東日本では新潟県小滝川(糸魚川上流)産の翡翠が用いられ、西日本では九州産で緑のクロム白雲母が使われた。因みに上記翡翠=Jadeは硬玉NaAlSi2O6で、不純物の鉄やクロムを含んで緑色だ。他に組成は全く異なるが肉眼では区別し難い軟玉 Ca2(Mg,Fe)5 Si8O22(OH)2 もある。硬玉も軟玉も翡翠と認識されている。
弥生時代前期には、支配層が代ったためか勾玉は使われなくなったが、弥生時代中期には異なる用途で復活した。縄文時代には個人を守る呪具だったが、弥生時代にはその頃確立した身分を表象する装身具となった。また縄文時代には形状が様々であったが、弥生時代には「定形勾玉」と呼ばれる今日我々が勾玉の形と認識している形状の、北九州で生まれた翡翠を材料とした勾玉が、東方に流通拡散して行った。一方北陸では半円形の勾玉「半ケツ形」(ケツは「決」のサンズイを王ヘンに置換)が生まれて全国に拡がった。材質・形状・大きさで高貴さの序列が出来て、ガラス>翡翠>他の緑色石材、定形勾玉>他の形状、大>小だった。
古墳時代に入ると、冒頭に述べた出雲玉造温泉の花仙山の暗緑色の碧玉が台頭し、平安時代に衰退するまで全国で多用された。また全国各地、特に出雲から産する瑪瑙(Agate。不純物で赤や緑になる石英SiO2)を材料としたさまざまな色の勾玉が全国的に用いられた。花仙山の麓には玉作湯神社があり、その境内にある球形の自然石「願い石」に触って願い事をすると通じるという。数十cmの真ん丸な自然石に温泉が注いでいた。
勾玉がなぜあのような形であるかについては諸説があり、Wikipediaによれば、@動物の牙で作った牙玉が原型(私はこれを採りたい)、A胎児の形(古代に胎児の形が周知されていたのか怪しいし、なぜ胎児なのかも悩ましい)、B魂の姿(人魂の形ならあり得るかも)、C巴形(関係ありとすれば巴の方が後だろう)、D三日月(似てない)、E魚(似てない)。私の感覚では、@が原型で、その形状が美しいと文化的・美術的に確立して行ったのではないかと考えたい。
周知のように三種の神器の1つがヤサカの勾玉である。天皇家に限らず古代の日本では、地方の支配者も鏡・玉・剣を支配者の象徴として代々受け継いでいたという。勾玉は古来重要な宝物だったのだ。 以上