京都で盛りの紅葉を探勝していた時に「東京の紅葉の名所はどこですか?」と問われ、急に思い付かず絶句した。後でよくよく考えてみると「紅葉の名所」とは何かに関わってくることに気付いた。話を簡単にするために、イロハモミジのような赤く紅葉する楓に話を限ってみよう。
楓がどのように植えられているかだ。(1)自然型:本当に自然に山に生えている楓もある。人が植えたものでも造園的な配慮なしに、或いはほとんど無しに自然の中に植えられたものもある。高尾山の紅葉は概してこの自然型で美しい。京都では神護寺、嵐山、嵯峨野などで見掛ける風景だ。(2)総合庭園型:造園的配慮のもとで、楓を重要な要素として他の木々との調和を求めて植えられたものがある。季節には紅葉が緑の中に巧妙に配置されて映える。新宿御苑や六義園、小石川後楽園などがそれに当たり、京都では随心院や天竜寺主庭園だ(天竜寺宝蔵院は(4))。大原の三千院の本堂前には杉林の苔庭に楓があり独特だ。(3)街路樹型:楓だけを街路樹として或いは通路沿いに配置している所がある。京都長岡京の光明寺に楓の道があった。大原の寂光院の入口の石段は楓のトンネルだ。(4)楓庭園型:楓だけの造園、または楓だけを主役とする造園がある。
楓庭園型が京都には多い。永観堂(えいかんどう)の百米四方ほどの主庭園は、放生池を中心に全て楓で構成されているから、季節には全庭園が真っ赤になる。南禅寺に隣接しているから関係のある寺院かと思っていたが、浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺の通称が永観堂だとのこと。9世紀に勅許を得て真言宗(禅宗ではなく)の禅林寺となったが、11世紀の住持永観(ようかん)が浄土宗の教義に心酔して浄土宗の一派の本山となった。本尊の阿弥陀如来は首を左に向けた珍しい立像で「みかえりの阿弥陀像」と呼ばれる。永観がいつものように阿弥陀如来の周りを念仏を唱えながら行道していると、如来が下りて来て永観の前を歩いたので、永観が驚き歩を止めると、如来が振り返って「永観遅し」と言ったという。だから左向きではなく「みかえり」なのだ。正面から拝礼するとどんな気持になるのか試してみたかったが、混雑の中でそれをしなかった後悔がある。
今秋左京区一乗寺の門跡寺院曼珠院を訪れた。といっても有名な枯山水があるという寺院境内には一度も入ったことがない。塀の外の池の周りに百米四方ほどの楓だけの庭園があり、その見事な紅葉を探勝して帰ってしまうという罰当たりなことをしている。その近くに徳川家康開基になる瑞巌山圓光寺がある。最初伏見城下に建立されたが後に現在地に移転したそうだ。庭園の半分は見事な竹藪だが、本堂に近い半分は池を囲む50米四方ほどの楓だけの庭園だ。様々な楓が赤・橙・黄の紅葉を見せるのが造園者の意図と見える。家康は伏見のこの寺に木製の活字5万個を与え、儒学と兵法の書物を出版させた。木活字は日本最古で重要文化財だという。入場料が大分溜まったのか入口周辺に趣のある枯山水が整備された。
近くの詩仙堂にも行った。江戸時代初期の文人の山荘が後に寺になったという。山麓の斜面に造営されており、庭園の山側が楓で真っ赤に紅葉し、手前の緑の植え込みとの対照が鮮やかだ。詩仙の間という部屋には、狩野探幽の筆になる中国の詩家36歌仙の肖像がある所からの命名だ。
今年訪れることはしなかったが、京都では東福寺の楓も見事だし、清水寺の谷の楓も美しい。いずれも楓だけの庭園だ。
こういう京都の楓庭園型の紅葉の名所を見て回っていた時に東京の紅葉の名所を尋ねられ「こういうのは東京には無いなあ」と思って絶句したのだ。無いと断言は出来ないが私は知らない。奈良の紅葉も大分見たが奈良にも楓庭園型は無いように思う。京都独特かも知れない。楓は秋は勿論だが春も夏も綺麗だから良い考えだ。そう言えば桜だけの庭園も無いか。
しかし総合庭園型で、緑の木々の中で一際秀でる紅葉も美しいものだ。だから私は絶句せず次のように言うべきだった。「京都に多い楓だけの庭園は東京には無いように思いますが、京都でも随心院がそうであるように、緑の中で自己主張する紅葉の名園は東京にも沢山あります。新宿御苑、六義園、後楽園、浜離宮、芝離宮、芝公園、などです。」 以上