「みちのく三大桜祭」とは、有名な弘前城と角館に同列に並びたい後述の北上展勝地のPR文句だが、その3箇所とその他の桜を土日の1泊2日で見せてくれるという阪急交通社のDMに申し込んで、この週末に夫婦揃って行ってきた。阪急は詰め込み主義で安く上げる名人だ。大忙しだが短時間に色々見られて私の趣味には合う。ただ時々は「アッ、ココで値切ったな」と見えることがある。4月17日は角館に行くはずだったので、秋田新幹線「こまち」と思っていたら、「やまびこ」で仙台で下ろされバスで北上した。成る程この方が安い。仕方なく道々桜やコブシや景色のバスガイドを聞きながらの旅も良しとした。山が好きな私は特に雪嶺の岩手山(後述の岩木山は別)が見え隠れしつつ姿を変えていくのを楽しんだ。
角館の枝垂桜は8割の木がまだ蕾が紅く膨らんだ段階で、2割の木が1-2分咲きだった。予報で覚悟していたよりは若干ましだ。400本もある枝垂桜のうち152本が老樹で天然記念物の札が下がっている。17世紀に角館を支配した佐竹北家の嫡子が、秋田城の本家佐竹氏の養子に取られた代わりに、本家縁続きの京の公達が角館の当主になった。その息子に京の西三条家のお姫様を貰った時に、京都円山公園の枝垂桜の苗3本を持ってきたのが始まりという。こんな田舎に嫁してきた姫君の心情を思う。武家屋敷を幾つか見学し、中世京風衣装の秋田美人の写真を撮らせてもらった。今上天皇誕生記念に植えた桧木内川の染井吉野の並木は全てまだ蕾だった。
弘前市の南に大鰐町という温泉町がある。その南の550mの阿闇羅(あじゃら)山の北斜面には半世紀前からスキー場があり、その頂上に建つ青森ロイヤルホテルが我々の宿だった。夕食後弘前城の5千本の夜桜を見に行った。ウン咲いてる咲いてる。6-7分咲きと見える花が城郭の城壁と共に照明されていて、それがお堀に映って美しい。行けども行けども桜また桜だ。ここの夜桜は最高だ。照明美術家が関与しているに違いない。
4月18日朝、部屋に朝日が明々と射し込んで寝過ごしたかと驚いて目覚めたがまだ5時半だった。だが起き出して零下の強風の中をホテル周辺を散歩した。5合目まで雪を頂いた岩木山が目前にある。撮影アングルを求めて残雪のゲレンデを下ると、雪の途切れた所にふきのとうが足の踏み場もないほど出ていたので、美味しそうなところを摘んでみた。
君がためゲレンデに出でて若菜摘む我が衣手に雪風冷たし
再び弘前城の桜を見に行った。昼間見ると木々の4割はまだ蕾、6割の木は3-9分咲きだった。夜桜ではもっと咲いているように見えたが、夜目遠目とは本当だ。天守閣まえの2本の枝垂桜の古木が9分咲きで見事だ。天守閣の上から見た岩木山と桜の取り合わせが絶景だった。染井吉野と枝垂桜が中心で80種類5千本とあった。津軽藩の主城だった弘前城に、1715年に藩士が京都から霞桜15本を植えたそうだ。明治天皇の賊軍となり城が荒廃したのを悲しんだ旧藩士が1882年に当時吉野桜と呼ばれていた染井吉野千本を植えたという。その一本に「日本最古の染井吉野」という看板があった。ここでは庭師が、特産の林檎の木の剪定の要領で桜を剪定し世話を焼いているので、長生きし花の付きもよいという。信州高遠城の桜が日本一と思っていたが、広さと本数と種類の点で弘前城はその上を行く。
バスは一路南下して盛岡で昼食後、盛岡地方裁判所前の石割桜を見た。周囲22mの卵型の花崗岩の中央が割れていて、そこに樹齢350年の江戸彼岸桜の幹が割り込み、丁度満開だった。普通江戸彼岸桜は淡紅色だが、ここのはなぜか純白だ。岩を割って花を咲かせるエネルギーを感じた。バスは更に北の高松の池に立ち寄った。盛岡城を水害から守るために江戸時代に堤を作り人造湖を作った。その周りに日露戦勝記念に1906年に染井吉野を中心に800本の桜を植えたのが今丁度満開だった。「日本のさくらの名所百選」に選ばれ、盛岡市民の花見の場所になっている。
バスは更に南下して北上市の北上展勝地に立ち寄った。1920年に染井吉野を中心に1万本を植えたうちの、700本が北上川河畔に2kmにわたって大木のトンネルとなっている。ここもまさに満開だった。
名前と写真だけで知っていた桜を沢山見られて幸せな週末だった。以上