私共はずっと三菱車を使っている。中央自動車道も東北自動車道も無かった1968年に軽自動車Minicaを買って以来Galantを3台乗り継ぎ、還暦に赤いチャンチャンコの代わりに赤茶色のDiamanteに乗ってもうすぐ9年になる。レーダ検出器付きで毎月千数百km乗ってまだビクともしない。事故と無縁ではなかったが幸い自己責任の事故はない。近くゴールド免許証をゴールドに更新できる。車に起因する問題はこの37年間全くなく、私は全幅の信頼を置いている。しかし昨今三菱自動車とその分社の三菱ふそうの事故やリコールが多いものだから、ワイフは大丈夫かと心配している。
とんでもない会社だと人は言う。私もそう思うが、9年前の車は大丈夫なのだ。伝統的に三菱の車は他社に比べて一際頑丈で、ダイヤモンドマークの信頼を稼いでいた。むしろコストが心配なほどだった。では何が三菱自動車をおかしくしたのか? 私は三菱自動車内部のことを何一つ知らないが、報道の断片情報から判断して外資DaimlerChryslerが持ち込んだ管理スタイルが、木に竹を接いだに違いないと思っている。
日本の古き良き時代の管理スタイルは、「肩叩き部長−滅私奉公社員−性善管理」であり、欧米流の「厳命部長−自己中心社員−性悪管理」と対照をなす。但し日本も段々前者が廃れ後者に移行しつつある。
私は東芝のコンピュータ分野で育ったが、或る時重電部門と一緒になって企業文化の違いに驚いた。その一つが滅私奉公だった。コンピュータ部門では噛み付き楯突く部下をどう使いこなすかに腐心したが、重電系の部下は何を言っても聞いてくれた。その理由はすぐ判った。変化の速いコンピュータでは若者が一番ノウハウを持っていたが、重電では30年前に大学で勉強した知識が役立った。古くから色々経験してきた先輩は本当に偉いのだった。偉いから重電の管理者は、滅多なことでは実務に口出しできない。細かいことに口出しをすると嫌われる。大綱を指示して任せ、むしろ上手に肩叩きができる管理者に人気があった。
米国の起業会社で働いた時の金髪美人の米本社社長は、会議の席上いつもフェルトペンを手放さず、終始会議をリードした。ボスが若者を指名して司会させる日本流と対比して面白かった。上司の指示は絶対で、従えない場合は自ら転職するか、クビになるかだった。社員は会社とWin-Winの関係が保てる間だけの勤務と割り切り、いつクビになっても半年は食える準備を怠らず、転職候補先の人脈を大事にした。会社側もいつ社員が辞めても困らぬように、また社員の会社忠誠心があっても無くても困らぬように、管理システムを整備していた。終身雇用の社員が裏切るはずがないという前提に立つ日本の伝統企業のシステムと対比して印象的だった。
もう一つの体験は30年近く前のことだ。東芝の大型電算機事業は病んでいた。事業部長はベテランの営業マンで、ご自分が好きにやりたい事業意欲から多分出た「事業部担当役員は技術系に」という希望は至極尤もだとトップには聞えたから、研究所長上がりの役員が歴代勤めていた。だから赤字事業部への風当たりを防ぐ防波堤には当然なって貰えず、事業部長と事業部幹部が直接外圧を受けた。施策も支援も与えられず努力の限界を超えた要求が圧力として加えられた時に、サラリーマン、あるいはサラリーマン組織は何をするか? 性善システムの規定や倫理ギリギリの工夫をして辻褄を合わせ、やがてはやや外れる点もあって、中期損益の犠牲において短期損益を稼ぐことが一部で行われた。「窮鼠やむなく中期損益を食う」結果となり、やがてこの部分の事業は破綻に至った。
このような体験から私は、質実剛健を誇った三菱自動車の品質が急転直下低下した原因は、外資が経営を握ってから管理システムが「木に竹を接いだ」形で「厳命部長−滅私奉公社員−性善管理」になってしまい、「窮鼠やむなく品質を食った」に違いないと推察している。三菱で多分それが起こり、日産で起こらなかった理由は、三菱の方が上にものが言えない社風だったか、日産の管理者の方が末端の声を聞く努力をしたかどちらかだ。どちらもありそうな気がする。ただ以上は限られた情報と推察に基づく仮説に過ぎないから、絶対そうだと主張するつもりはない。 以上