「もののけ姫」を見て感心した。漫画をマンガと書くようになったずっと前からマンガを遠ざけている私としては、アニメに感心するとは画期的なことだ。それには次のような契機があった。
東京大学の某工学系教授が自宅に呼んだ学生達に「君達の人生に影響を与えた人」を問うたら、異口同音に「宮崎駿(はやお)」と答えた話を学士会報で読んだ。教授は「君達宮崎駿のマンガなんかに影響されているのか」とマンガ/アニメを馬鹿にしたらしい。同席した教授の息子さんと娘さんがそれを大変恥とし、レンタルショップから「もののけ姫」を借りてきて、嫌がる教授に半ば強制的に見せたそうだ。教授はこれを見ているうちに感動し涙を流したという。以後息子さん娘さんから共感を得られるようになったとのこと。教授と恐らく似た価値観を持つ私としては、涙cを流すほど素晴らしいものを遠ざけている私が間違っている可能性を発見し、これは一度見なければと思った次第。Amazonを見るとDVDは\4,900余で高いなあと止めそうになったが、よく見ると\2,500の中古品があったのでそれを買った。某個人から丁寧に包装された新品同様の品が届いた。
ワイフと日曜の夕方この映画を見た。私は教授より感受性が鈍いとみえて涙は出なかったが感動した。二人で夕食を忘れて見入ったので夕食が遅くなってしまった。テーマは、自然を破壊しなければ豊かになれない人間と、人間に追い詰められ反撃する森と動物達の葛藤の物語だった。「もののけ姫」サンは、人間のオテンバ娘ながら自分では山犬の娘と信じており、森と動物のために人間と戦う。主人公の青年アシタカは、両者の平和的共存を求めて独自に奮闘する。それにらい病問題や女権問題がからむ。展開に続く展開で飽きさせない。その筋書きを記載すると、この映画を見た人には冗長で見てない人には見る楽しみを奪うことになるから、感想に留めよう。とにかく画面が美しい。山、森、湖、川などが豊かな自然を謳い、森の精が遊ぶ。但し人の首や腕を飛び散らせなくてもよいのにとは思う。登場人物・動物はそれぞれ個性に富み俳優の演じる映画と変わらない奥行きがある。しかも既存の俳優の姿形に制約されずに描ける自由度がある。自然を愛する宮崎駿の代表作と言われるだけあって素晴らしい。
なぜ私はマンガ/アニメが嫌いなんだろうと胸に手を当てて見た。子供の頃親や先生から「マンガより活字を読みなさい」と言われたことが刷り込み現象になっているのかも知れない。高校生の頃だったかクラシック音楽をDisneyがアニメで表現した映画を見た。以来ベートーベンの田園の代表的テーマを聞くたびに、この映画で踊った妖精のダンスが脳裏にチラつく。それも懐かしいのだが、鑑賞の自由が侵害された気もする。
小噺でA「立派な垣根ができてねえ」、B「へー」というのがある。「立派な塀ができてねえ」では面白くない。A-B間の距離があるほど、オチが判った時のおかしさが増す。しかし距離が大きすぎると判りかねるから面白くない。距離を横軸に、おかしさを縦軸にとると鋸歯状になろう。マンガ/アニメは直裁でこの距離が近すぎることが私が好きになれない理由の一つだと思う。判りやすい反面出来合いの概念を注入されてしまう。妖精の踊りを植えつけられたくないものだ。活字は情報がもっとコンパクトで想像を膨らませ考える自由度と楽しみがある。それにそもそも私は、所詮作り事であるドラマも小説もあまり好きではない。代わりにノンフィクション・探訪ものは大好きだ。だからNational Geographic Magazineを43年間も購読している。ただ「夜明け前」や「Memoirs of a Geisha」は小説だがノンフィクション的だから大いに興味を持って読んだ。
パソコン上にマンガを配信する起業会社が投資対象候補に上ったことがある。マンガを見るとしてもパソコン上で見る人は限定人口ではないかと私は思って、投資には一応反対した上で「しかし私はマンガを見ないから棄権」という立場をとった。以後会員数は伸びている。私の勘がハズレかも知れないし、そのうちに飽和傾向が出るかも知れない。
「もののけ姫」のアニメは美しく面白かった。しかし冒頭の東大教授と違って私の一般的なマンガ/アニメ嫌いは直りそうも無い。 以上