新渡戸稲造に今凝っている。札幌農学校出身で国際連盟の事務次長になり東京女子大の初代学長くらいしか記憶に無かったのだが、最近氏に関する講演会を聞いて俄然関心が湧いて、先日東京女子大の学園祭Vera祭(Vera=真理)にも行ってきた。学園祭なら学内の新渡戸稲造記念館を見られるだろうと思ったのだが、学園祭期間中だけ閉館されていた。代わりにService & SacrificeのSを十文字にした校章の華やかな雰囲気に触れ、わが青春時代を懐かしんだが、学生から「お孫さんは?」と問われた。
南原繁(1889-1974、政治学者、歌人、内村鑑三の弟子、1945-51東大総長)を教祖のように崇め著述を輪講する南原繁研究会が存在する。新渡戸稲造(1862-1933)の生誕百周年に、内村鑑三(1861-1930)と札幌農学校の同期生であり南原繁の旧制第一高等学校時代に校長だった新渡戸稲造に敬意を表し、氏に関わる講演会を南原繁研究会が開催したのを聴講した。そこでこれは偉大な人物なのかも知れないと思って改めて関心を抱いた。
まず新渡戸稲造が1899年に英文で出版した「Bushido」(武士道)を読みたいと思い、Amazonを開いたら電子書籍版は$0と書いてあった。Amazonにも無料書籍があるんだ!! 米Theodole Roosevelt大統領が感服して数十冊を購入し友人に配布した本だと聞いた。読み始めたがこれが難解で理解できない。軒並み私の知らない単語が出てきて、私が独語の本を読むのに近い頻度で辞書を引く。単語は辞書を引けば分かり、英語は理解できた。しかし今度は意味が判らない。英語の本なら読めるという思い上がりが初めてガラガラと崩れ、諦めて和訳を読むことにした。
Amazon.co.jpで調べると「武士道、矢内原忠雄訳 岩波文庫」があった。矢内原忠雄(1893-1961)は、南原繁の後継として1951-7に東大総長を務め、「入学した以上は真理を学びなさい」と1955年の五月祭で講演された。「真理」とはキリスト教のことと知って素直だった私は、氏のキリスト教通信講座を受け、数冊の聖書研究の著書を熟読した。氏は内村鑑三の一番若い弟子で「無教会派」の布教に尽力された。内村鑑三からは信仰を、新渡戸稲造からは人を学んだと言っておられる。第一高等学校では南原繁の後輩で、新渡戸稲造校長から多大の感化を受けた。経済学者になり、新渡戸稲造と同様に植民地政策の講座を持ったが、博愛平等の植民地政策論が軍部には危険思想に見え、戦時中は東大から追放されている。
「武士道」も難しかった。結局英語は正しく読めていたのだが、言語処理で占有された頭脳の残りの性能では、文章間のつながりで理解できるはずの思想が読めていなかったことが判った。日本語なら、1938年出版の文語体ではあるが、辛うじて私の理解できるレベルであった。それにしても新渡戸稲造の百年前の教養には恐れ入る。見事な英語で出版できただけでなく、英独仏伊・ラテン語・漢文を自在に引用し対比して、日本の道徳律である武士道を欧米に解説している。欧米人にとっては、英語および各国語に翻訳された著作によって、日本の思想・道徳を知り、野蛮と軽蔑していた極東にもこのような立派な道徳があったのかと驚いたに違いない。
即ち、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己などを解説し、仇討ちや切腹の意義を解説している。それらを日本人向けに翻訳し、日本の古典は改めて正しく引用し直した訳者矢内原忠雄の努力も著作に匹敵する。
新渡戸稲造の人となりを読み取れたのは、「余の尊敬する人物 矢内原忠雄 岩波新書」だった。4人の偉人が描かれている。旧約聖書時代の預言者エレミヤと日蓮上人は似たところがあり、自らの信仰を頑なに述べ立てて周囲と衝突し迫害された。リンカーンと新渡戸稲造もキリスト教の信仰に基づく信念で生き抜き、周囲からの非難を浴びてもびくとも動かなかった。新渡戸稲造は校長として学生に接し講話をし、反発を受けつつも最終的には学生を感化して行った。校長というものの有り様を示して感動的だった。氏は日本語の表現があまりうまくないために直截となり、反発を得たと矢内原忠雄は言っている。氏は日本人初の国際人だったのかも知れない。そうでなければ国際連盟事務次長としてSwedenとFinlandの間の島を巡る領土問題を解決した業績などは上げられなかったであろう。 以上