Nobel物理学賞は理学系と工学系と交互なのか。今年は工学系だ。今まで複数人の受賞でもテーマは一つだと思っていたが、今年はほとんど関係の無い2つのテーマで3人が受賞した。上海生まれで英国に留学しSTC社のSTL研で受賞対象の業績を上げた現香港大学のCharles Kao教授が光ファイバ通信で賞金の1/2を獲得し、Bell研のWillard Boyle氏とGeorge Smith氏はCCDでそれぞれ賞金の1/4を得た。尤も受賞理由は「Two revolutionary optical technologies(光技術)」で一本化されているが、技術屋から見ればこじつけに聞こえる。去年の受賞は素粒子だったから、私には一般向け解説レベルが丁度良かったが、今年は専門家向け受賞理由(Scientific Background)の方が私には判り易い。俺はこの分野では専門家なんだ!!
1920年以来、光ファイバを束にした医用・軍用のスコープが作られた。耳の内部を見ながら掻き出す耳かきを私は持っている。当初は光の減衰が大きく胃カメラのような短距離用だった。1950年代に、光を通すファイバの芯=コアの周りを屈折率が若干小さいガラスの外囲部=クラッドで覆い、その境界面で損失の無い全反射を起こさせる発明があった。水に潜って水面を見上げると、真上の円形部分は水面の上が見えるが円形の外(光が斜めに入射する場合)は完全な鏡であることに気付いた人も居よう。あれが全反射だ。クラッドの代わりに空気でも良さそうなものだが、コア表面の傷を避けるためと、屈折率の差を小さくして単一伝送モードを得るためにクラッドを配置する。実は全反射の光導管を用いた光通信の基本特許が1937年に日本で成立している。発明者は後に富士通社長になった若き日の清宮博氏だ。但し発明が早過ぎてこの特許は大して役立たなかった。
光通信の研究で、光ファイバは減衰が大きいから使えないと除外されていた時代に、Kao教授はSTL研で光ファイバの減衰を徹底的に分析し、伝送モード、光の波長、ファイバの材質などを最適化すれば減衰が抑制でき、光通信の本命になり得ることを1966年の論文で示した。Kao教授指定の融解シリカファイバは製造が困難だったが、4年後に米Corning Glass社がCVD法(Chemical Vapor Deposition=化学気相成長法)によって製造に成功した。以降今日の光通信の隆盛に至った。それには光ファイバの開発だけでなく、送受信部品など広範囲の発達が貢献しており、日本のNTTや大学の貢献も大きかったので、今回の受賞を複雑な気持で聞いた日本人も少なくないであろう。多くの人の努力で花開いた光ファイバ通信の先導者が、全員を代表して受賞したと考えれば良いのかも知れない。
CCD=Charge-Coupled Device=電荷結合素子は、デジカメのセンサなどに多用される部品だ。10月9日朝日新聞の受賞紹介記事で、Nikon一眼レフの写真が出ていた。マサカ! 一眼レフはCCDではなく節電型だが高価で大型のCMOSのはずと調べてみると、写真の機種は2006年発売のD80で確かに巨大なCCDだった。2008年発売の後継機種D90からCMOS素子に変わった。しかし小型で安価なセンサを必要とする分野では依然CCDが使われている。
Bell研では1960年代に磁気バブルメモリの開発が大テーマとなっていたそうだ。厚さ方向に磁化された磁気薄膜の一部に逆向きの磁化をバブルのように出現させてビット記憶とし、薄膜上に電界を作ってセンサの方に移動させて読取る装置で、1980年代に高密度化が進んだ磁気ディスクに敗れるまで有望視されていた。この研究に予算を奪われるのを防ぐ目的で受賞者2人は、半導体で「電荷バブルメモリ」を開発した。その成果がCCDとなり、1970年にBell研報に発表された。つまり当初はメモリ素子だったが、磁気バブルと異なり光を電気に変換する光電効果を持たせられるので画像センサとして発達し、当時本命だった磁気バブルを凌ぐ成功を収めた。
実は前年1969年に類似のアイディアが発表されていたが、これは半導体上にビットごとに形成した多数のコンデンサに蓄えた電荷を、トランジスタで次々に順送りしてセンサに導くもので、Bucket Brigade Device=BBD=バケツリレー素子と呼ばれた。一方CCDは、半導体は厚み方向の構造(PN接合)だけで、表面電極の電位で半導体内の電荷を引き回す簡単な構造だ。
社内競争に迫られてでっち上げた素子が大成功した訳だ。 以上