京都大原の紅葉を訪れた。一本道が混む前に京都駅始発の1時間800円のバスに乗り込んだ。大原のバス停から三千院へは、呂川を遡り土産物店が並ぶ坂道を東に上る。辺りの楓は蔭なのでまだ緑だ。空は晴れているのに天気雨がハラハラと降り、逆光の日差しを浴びてキラキラと光る。
三千院は正式には魚山三千院門跡という。伝教大師最澄上人が比叡山に根本中堂を建てた時に作った一宇が、皇室から住持する門跡院となり、応仁の乱の後現在の大原の山腹に移された。比叡山から西へ大原の里に下る道の北側の斜面に境内が広がり、境内の南側に道に面して正門がある。この朱塗りの朱雀門は今は閉じられ、観光客は西側つまり下側の御殿門から入る。御殿門前の土産物店沿いの若い楓並木は、緑・黄・赤の迷彩色だ。このように紅葉の進行のばらつきが大きいのが今年の特徴だ。
御所の旧材で建てた「御殿」の客殿に上がる。池泉庭園の聚碧園では、滝の落ちる池の畔に潅木状の山茶花が咲く。池を覆う楓は杉の巨木の陰なのでまだ鮮やかな緑色だ。客殿から一段上がった敷地に本堂の宸殿がある。本堂の東の外陣(縁側)から南を見た景色が三千院随一の景色とされている。遠景に往生極楽院と池泉回遊式庭園の有清園が見える。中景には苔生した地面に数本の杉の巨木が立つ。西側の日当たりには楓の紅葉が見られる。三千院らしい落ち着いた静かな風景だ。本堂から下りて紅葉をくぐり苔庭を南に進む。色とりどりの鯉が泳ぐ「細波の滝」の池を見ながら往生極楽院に南側から上ると、珍しい半円筒形の船底天井があり、平安末期の阿弥陀三尊像が空間一杯に安置されている。よく見ると阿弥陀如来は座禅を組んでいるが、左右の観音菩薩、勢至菩薩は正座しているではないか。観音様の手には蓮の花があり、往生者(死者)を迎えその蓮に載せて極楽に運ぶために、今まさに立ち上がろうとしているから正座なのだという。ここで何百年も蝋燭の灯で修行を続けてきたため、煤で柱も天井も真っ黒だが、化学分析に基づき創建当時の極彩色の花模様を新築中の資料館に復元するという。往生極楽院の南正面の、杉苔で覆われた瑠璃光庭と呼ばれる緑の庭園と杉木立の先に、朱雀門を囲む紅葉が彩りを添える。
更に一段上った高台に、平成元年建立の祈願道場の金色不動堂があり、今は黒くなった秘仏金色不動明王が特別公開されていた。最上部の観音堂には祈願を聞き届ける3mの金色の観音菩薩像があり、周囲には祈願料1万円で身長5cmほどのミニレプリカに祈願者の名前のプレートを添えてネジ止めしたものが何万体も並んでいた。この仕組を考えた人は偉い。
三千院を出て比叡山への道を登る。朱雀門の朱色と、それを取り囲む紅葉と、石段の落葉の対照が、門跡院の格式に相応しい。さらに上ると比叡山延暦寺の別院で通称大原寺の来迎院に至る。印度に発した仏を賛美する梵唄の声明(しょうみょう)の根本道場だ。ここには藤原時代の作とされる三仏像があるが、面白いことに向かって左に阿弥陀如来、中央に薬師如来、右に釈迦如来(不在)という配置だった。写真マニアがあちこちで紅葉を狙って三脚を据えており、私も手持ちながら構図を真似てみた。
近くは満員で昼食ができず、若狭湾から塩漬鯖を昔運んだ鯖街道を少し行った所に流行らない湯豆腐の「古都八茶屋」を見つけた。流行らない訳で\3,150だという。ところが料理にうるさいワイフが感動した拘りの料理だった。祇園の豆腐屋に「湯豆腐のタレを持って来なさい」と言われ、「ウンこのタレなら豆腐を売らせて頂きましょう」となったそうだ。
バス停に戻り、西方の寂光院を目指し風情ある田舎道を行く。寂光院に上る石段の楓並木はほぼ黄色で一部赤が混じる。堂宇は5年前の放火で全焼したあと、寸分違わぬ形に今年6月に復元された。地蔵菩薩立像まで極彩色で真新しいのはやや違和感があったが、昔の姿を見ていると思って納得した。清香山玉泉寺寂光院は、安徳天皇と共に壇ノ浦で入水したが救い上げられた生母建礼門院が建てたと誤解していたが、聖徳太子が建立したと伝えられる尼寺で、建礼門院はその一角に庵を結んだのだと知った。
復路の殺人的混雑が始まってしまい足を確保するのに大苦労したが、幸い何とか脱出に成功し、大原の田舎の雅を後にした。 以上