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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2012年 3月17日
        オウム事件はなぜ起こったか?

 オウム真理教の平田信容疑者と同居者が出頭してきた。17年も潜伏すると自首すら容易ではないという事実がおかしかった。オウム関連の裁判が、刑は決めたが背景を明示しなかったと残念がる評論家が居た。裁判所は刑を決める所だ。背景を知りたければ自分で考えたり調べたりするものだ。そう思った私自身も不勉強だったと気付き、次の本を読んでみた。
   オウム真理教の精神史 大田俊寛 春秋社 2011/3 pp283
オウムの本質は、(1)ロマン主義、(2)全体主義、(3)原理主義だという。

 筆者は超自然・超論理的なものを信奉することをロマン主義と呼ぶ。オウムは、修業によって超能力が得られ、生死を越えた神的な存在になれるとし、麻原彰晃は空中浮遊が出来ると自称していた。理科系の最高教育を受けた優秀な青年がなぜそういう定義のロマン主義に入れ上げたかを、不思議に思う人もあるかも知れないが、私には分かる気がする。

 人には楽観的な人から悲観的な人まで、社交的な人から内攻的な人まで、色々な次元軸があるが、同様に信じ易い人と信じ難い人という軸があると私は思う。信じ易い人を二三人個人的によく知っている。全て最高学府を出た理科系で組織の主要幹部に出世した人達だ。部下の言うことを容易には信じない批判精神が旺盛である割に、自分で発見したり特定の人から聞いた無理筋な話は信じてしまう。何でも無理に関係付けてしまう。例えばその一人はHungaryのHunはジンギスカン=ジンギスハンのハンだと確信し吹聴していた。モンゴル軍が中欧まで攻めて行った史実はあるが、これは無理筋であろう。環境次第では空中浮遊をも信じる人だと思う。

 全体主義を独裁の意味で筆者は使っている。麻原彰晃を頂点とし、何人かの最高幹部がそれを支え、上を無反省に信じ批判を許さない体制を指す。HitlerやStalinの体制と同じだ。オウムの主要教義の一つとして、教祖を無条件に信じ教祖と一体となることが修業の前提条件だとされていたそうだ。修業の重要要素なら盲従も有り得る。最初は疑問があっても「取り合えず信じてみよう」という批判の封印はどんな宗教にもある。全体主義はVerlassenheit=打ち捨てられた状態 を土壌として育つというのが定説だそうだ。混沌とした社会で都会の根無し草として生きる群衆の、自分・人間・社会への孤独な嫌悪が、カリスマの「俺には真の秩序が見える。俺に従えば幸せになれる」という声に惹きつけられる素地となる。

 原理主義は、元来の根源的な教義に戻ろうという運動だと筆者は捉えている。オウムは仏教の教団だと自らを位置付けていたそうだが、教義にはキリスト教新約聖書のヨハネ黙示録とNostradamusの予言にある終末思想が主要な位置を占めており、終末思想のキリスト教原理主義だと筆者は言う。ヨハネ黙示録には、この世が終わりキリストが再臨して神の国が生まれると書いてある。Nostradamus(1503-66)は仏の占星術師で、1555年の著書Les Prophecies=「大予言」で1999年7月に世界が壊滅するとした。終末思想は布教には都合が良いから、宗教界にしばしば出現する。平安時代には末法思想が流行ったし、最近もマヤ歴が終わる2012年末が世界の終わりだと説く人が居る。オウムも信者等の選民と非選民との間の最終戦争で世界は1999年7月に滅び、麻原彰晃を盟主とする世界が始まると説いた。だからどうせ間もなく滅びる全財産を教団に寄付して出家せよと布教し、最終戦争に生き残るために教団は武装しなければならないとした。

 オウムの各殺人事件や地下鉄サリン事件(1995)は、選民と非選民の最終戦争の前哨戦と位置付けられ、またどうせ間もなく死滅するはずの非選民を数年早く殺すだけのことだという考えがあったとされる。  米TexasにあったBranch Davidianというキリスト教団がWikipediaにもある。指導者が若い女性を独占し最終戦争に向けて武器を備蓄した。未成年への性的虐待容疑で1993年に米政府が踏み込んだが銃撃戦で死傷者を出して撤退した。FBIが包囲して50日間対峙した後にしびれを切らして戦車を入れた時に、教団は自ら建物に火をかけてほとんど全員が焼死した。

 オウムは必ずしも特異な社会現象ではなく、ある条件下である種の人達には簡単に起こり得る典型的な社会現象であるという気がしてきた。以上