7月18日9pmのNHK第1の「戦後70年」は、軍備や国際義務は米国におんぶしてひたすら「豊かさ」を求めた吉田茂首相(1946-54)と、米国属国化を嫌った「自立」の岸信介首相(1957-60)の路線対立を描いた。岸首相の退陣につながった安保闘争は、昨今の安保法制議論との共通点が多い。
ゲストの田原総一郎氏のコメントがおかしかった。私より2歳年上だが苦学で歳を食い、私は卒業後で経験していない全学連の昭和60年安保闘争ではデモの中に居たという。「安保反対!岸辞めろ!」と連呼したが、実は吉田首相が講和条約と一緒に締結した日米安全保障条約と、岸首相が再交渉してきた改訂版とを読んだこともなかったという。後年読んでみると、(1)米軍の日本防衛義務を明記し、(2)米基地建設には日本との事前協議、など、初めて日本の立場を強化していたと。もう一人のゲスト、御厨貴東大名誉教授によれば、岸首相の目算では、安保改訂で日本国民の大歓迎を受け、選挙に勝って自主憲法制定を実現しようとしていたという。
ところが日本社会党など左派勢力は「安保で日本は戦争に巻き込まれる」「安保廃棄」と改訂安保の批准に猛反対し、国を挙げての大騒動になった。衆院は野党欠席の中で強行採決で可決、参院は採決できず、衆院再可決で批准が成立した。しかし批准書交換を花道に岸首相は退陣に追い込まれた。ソ連が現ナマで左翼を支援したことが後日明らかになった。
昭和26年締結の講和では、吉田氏は米国中心の西側49ヶ国と講和し、同時に安保条約で米軍の駐留を占領軍と大差ない形で許容した。これはソ連を中心とする東側の許容できる講和ではなかった。マスコミと学者、従って世論はこれを「単独講和」と呼び「全面講和」を求めて大反対運動を展開した。理想論と現実論の対立だ。全面講和を強く主張し影響を及ぼした前東大総長の南原繁教授を、吉田首相は「曲学阿世の徒」と罵倒した。
私の在学中の授業料値上反対の運動も、単独講和反対も、安保改訂反対も、歴史的に見れば民衆の反対運動の方が間違っていて、政府が正しかった。民衆は「俺達が正しい」「俺達の声を無視する政府は怪しからん」と息巻いたが、実は反対を通じて組織の影響力を高めたいという意図で煽動する者が居て、民衆は単にそれに乗せられていたと言うべきであった。
今安保法制もまたその傾向が強い。共産党と社民党が一番判り易い。近い将来政権を奪取する可能性も気も無いから、国のあり方や主張の実現性を心配する必要は全く無い。政府・与党の施策に関して民衆の不安を煽り立て反対運動を盛り上げて党勢を伸ばすことが唯一の関心事だ。
民主党は、参院審議では「対案を出すより敵失を追及した方が得」と党内の責任野党派・対案派を抑えたという。政権奪取は遠いと見て党勢拡大に専心することにしたようだ。維新の党は存在感を出すことに一生懸命だ。政府以外は誰も国のあり方を第一義に考えてはいない。むしろ荒唐無稽の飛躍で、戦争反対・徴兵反対と叫び民衆を扇動している。
自民党は「戦争反対」「憲法9条を守れ」「平和を守れ」「だから安保法制」と書いたポスタを張りまくるべきだ。そうしないから自民党が戦争をしたがっていると思う人が増えている。戦争をしたがる人や党がある訳が無い。そもそも自民党が党利を考えれば、安保法制など放っておいた方が得だ。得も無いのに敢えて無理押しするのは国のため以外には考えられない。ただ政府はその真意をあまり説明して来なかった。恐らく色々説明して挙げ足を取られるよりは早く法案を成立させたかったのであろう。
滑稽なのは「安保法制は憲法違反」と主張する学者やそれを利用する党や、乗せられた民衆の誰一人も、「戦力不保持」を謳う第9条と世界有数の戦力である自衛隊との矛盾に言及しないことだ。それでいて、憲法には何も書いてない集団的自衛権は憲法違反だと叫んでいる。友人が指摘してくれた7月20日のNew York Times社説でも「米軍が押し付けた日本国憲法には、自衛隊は自衛にのみ使えると書いてある」とあった。そんなことは書いてない。ただ「戦力は保持しない」と書いてあるだけだ。かっての田原総一郎氏が世間に一杯居て、組織強化のための扇動ばかりが活発だ。
安倍首相が母方の祖父岸首相の轍を踏まぬよう経済のために願う。以上