Delphi(デルファイ)法という予測手法がある。「何時デフレは終焉すると思うか?」とアンケートを出し、集計結果を示した上で再び問うことを2-3度繰り返すと、段々皆の意見が集約される。尤も私は一度言い出したらあまり変更しないので向いていない。Delphiという一時売れていたPCソフトもある。Delphiniumは折畳傘くらいの大きさの派手な花だ。これらはみなAthens(アテナ)の北西150km、Corinth(コリント)湾を望む世界遺産の古都Delphi(デルフィ)から来ている。神の住み給うParnassus山の岩がちな中腹の急斜面にへばりつくように構築された都市だ。今は土台と石柱を幾つか残すだけの、古代ギリシャで最も崇拝されたApollo神殿が遺跡の中心にある。かってはここには太陽神にして予言神のApolloの神託を伝える巫女が居て、将軍や政治家などの権力者が湾から貢物を標高差数百米の10kmほどの道を担ぎ上げて神託を受けに来た。
Delphiが世界の中心だと古代ギリシャでは考えられていた。最高神Zeusが2羽の鷲を世界の東西の端で離して出会った場所に石造りの出ベソを置いて中心としDelphiを拓いた。そこに地の女神Gaeaが神託所を置き、その子Pythonが守っていたが、ApolloがPythonを滅ぼしてApolloの神託所としたとされる。考古学もこれを裏書きしている。紀元前15世紀から町があったが、紀元前8世紀に別都市の人たちが侵入してきてApollo神殿を建てた。紀元前6世紀には、植民地に赴く植民団が必ずここで神託を受けて出発したので、ヘレニズム文明の端々までDelphiの名は轟いた。
Apolloの神託は、神殿中央の小部屋で高い三脚椅子に腰掛けた神がかり状態の巫女Pythiaを通して歌うように伝えられた。Athensの歴史学者Diodorusや哲学者Platoなど多数の学者による昔からの説明によれば、この小部屋の地面には割れ目があり、水とガスが湧出して巫女を神がかりにするとも、割れ目から予言の精気が立ち上って巫女をして語らしめるのだとも言われていた。1世紀の僧 Plutarchは、このガスは泉から出て甘い香水のようだと記録している。ところが1900年に英国の学者Oppeは、仏のDelphi発掘に立会い、割れ目もガスも無いし、あったとしても自然のガスで神がかりになるはずがないと昔からの説を全面否定する論文を出したので、それが学界の定説になっていた。ところがやはり昔の説が正しかったことが過去20年に段々判ってきたそうだ。
月間誌 Scientific American 8月号によれば、米地質学者De Boer教授は、Apollo神殿の近くで露出断層を見つけた。彼は後にLouisville大の考古学者Hale教授と出逢って事の重要性に気付き、1996年に一緒にApollo神殿を調査し、以降色々なことを発見した。まず神託の小部屋は床から数米低い位置にあったこと、その場所で2つの活断層が交差していること、湧水を逃がす排水設備があったこと、周辺の地質が瀝青炭を含む花崗岩で20%もの生物化石燃料を含んでいることなどが判った。Florida州立大の化学者Chanton教授がチームに加わり、Delphiの湧水と流路の岩の付着物を分析し、Methane、Ethaneと共にEthylene(エチレン C2H4)の存在を証明し、甘い香水の正体だとした。Ethyleneは濃度によって催眠状態や失神や狂乱死をもたらすので、巫女の神がかりはこれだと結論づけた。
私に判らないのは、巫女がEthyleneで催眠状態になるとなぜ、「当たる」と信じられるに足る確率で適切な忠言を与えられたのかだ。酒に酔うと英語の聞き取りは駄目になるが発言は上手くなるとは信じているが。
この話を聞いていれば先年Delphiを訪れた時に神殿の小部屋の周りを注視したのだが、さりとは知らず石柱数本を構図よく撮影できる場所を急斜面に探すことに汲々としていた。なぜこんな山の急斜面に態々神殿を建てたのかと訝っていたが、今考えれば良い疑問だった。その時自分で撮った写真を今見直すと、確かに小部屋の跡とおぼしき深い窪みが神殿の床にあった。そうとは知らずワイフと私は神殿のずっと上の方まで急斜面をあえぎつつ登って古代オリンピックが行われたという運動場まで行き、私は大理石を埋めて作った白い出発線からゴール線まで200mほどの、山側に石積みの観覧席がある直線コースを走っていた。 以上