夏時間のParisでは、9月の朝は暗い。美容睡眠のワイフを残し6時にホテルを出て、石畳の道を騒音高く通り過ぎる車のヘッドライトと街灯で明るい大通を行く。鈴懸並木の葉がもうかなり落ちていて、足元でカサカサと音を立てる。夜間照明のMadeleine寺院の柱列が美しい。Concorde広場の四角柱Obelisqueの金色が遠く夜目に輝く。黒い人と行き合う。悪い人ではなさそうだが誰も他に居ないから最悪を想定して注意深くすれ違う。Concorde広場の周囲を回ってPalais de l'Elyseeエリーゼ宮(大統領官邸)の方に行く。暗い中に立っている護衛官とBon Jourと挨拶を交わし、マロニエの林に入った。Champs-Elysees大通は車道側に鈴懸の並木、その外側に歩道を挟んでマロニエの林だ。葉の周囲が茶色に変化しつつあり、ほとんど落葉した木すらある。直径4〜5cmの表面に柔らかい突起のある実は緑のままはじけて栗そっくりの丸々と太った実を落とす。マロニエが碁盤目のように正確な正方形に植えられているのが如何にもフランスだ。おまけに鈴懸は1本1本円筒形に刈り込まれている。仏人はよほど幾何学模様が好きらしい。ホテルのエレベータのボタンには入口階は0、地階は-1、-2と表記してあった。仮説で有名なFermat、工学系に馴染みの深いLagrange、Fourierなど皆仏数学者だ。仏は数学の国なのだ。
鈴懸とマロニエの間の歩道を、夜間照明のEtoileの凱旋門を目指して行くと、早朝散歩の夫婦と出会った。これで4人目だ。鈴懸並木は凱旋門までゆるやかな上り坂に沿って続くが、マロニエの林は途中から商店街に替わる。3階建てほどの巨大な鞄の形をしたLouis Vuittonビルが薄明かりの中に辛うじて見えた辺りで踵を返した。まだ7時前で金星が輝いている。
Concorde広場まで直進し、Obelisqueの根元に立った。この広場は元々王宮だった今のLouvre美術館の正面に位置するLouis XV広場だった。それが仏革命で「革命広場」と改名され、Louis XVの銅像は引き倒されギロチンが設置された。処刑されたMarie Antoinetteを初め1300名の運命を想う。その後「和合」を願ってConcorde広場と改名された。3,300年以上前にエジプトLuxorの寺院入口を飾ったObelisqueが19世紀にエジプトから贈られギロチンの位置に建てられた。昼間は盛んに水煙を上げる噴水も今は止まっているが、おかげで噴水の彫像の女神が街灯の光でよく見える。一人一人が胸に灯火を持っている。八角形の広場の角に配置された仏主要都市を表す女神の彫像が、白んできた空を背景に美しいシルエットを成す。南西にEiffel塔が見えた。宵っ張りのParisでは11pmまで塔に上ることができ、1am過ぎまで毎時0〜10分には夜間照明灯を点滅させて塔全体をキラキラと輝かせる。しかし1am過ぎ以降は消灯するので、今はまだ暗い空にニョッキリ立っているだけだが威厳がある。明治政府が初めて参加した1900年の万国博覧会で建てられたものだ。1958年に建てられた東京タワーは、計算機のおかげでEiffel塔の1/3の鉄材で10%高く作られた。
Seine川を300mほど遡りLouvre美術館の中庭に入った。薄暗いうちから花園の噴水が上がっている。やや小ぶりなCarrousel凱旋門をくぐるとガラスのピラミッドが朝焼を映し、重厚な美術館の建物と対照を成している。7時半を過ぎ明るくなってきた。Seineの川岸に下りて流れに沿って石畳の歩道を歩く。川岸にマロニエの巨木があった。もしかしたら仏革命の群衆のザワメキを聞いた木かも知れない。目が覚めるような女性のジョガーが金髪を左右に揺らして通り過ぎて行った。平らな橋の下部構造に太鼓橋のような歩道が作りこんであって、老若男女のジョガーが両岸から渡っている。対岸のOrsay美術館も万国博覧会のために建てられた駅だったが1977年に美術館に改装された。駅らしく川に面して二つの巨大な丸時計があり、内側から照明されている。川辺に菩提樹並木があると思ったらやがて鈴懸並木に変わった。作業船が三色旗を掲げて白波を蹴って行く。作業船まで国旗を掲げるから立派だ。
すっかり明るくなったEiffel塔を、対岸の建物、橋の欄干、鈴懸の葉を入れて芸術写真を撮り、Concorde広場を縦断してホテルに戻った。さあワイフと一緒に行動開始だ。 以上