来年1月まで開催の上野国立科学博物館の「パール」展をワイフと見た。米New YorkのAmerican Museum of Natural History他が企画し、米国各地で行われた展示が日本にも来た。潟~キモトが特別協賛で日本コーナの多くを出展し、最後に即売コーナがあったが幸い無事通過した。
真珠は真珠貝=アコヤ貝だけでなく、オウム貝のような巻貝からアワビのような1枚貝まで、貝殻が光る数十種類の貝で出来る。オオシャコ貝が作った野球ボール3個分ほどのラグビーボール型のあまり光沢の無い真珠の複製も展示されていた。アコヤ貝が最も色と光沢が良く生産性に優れるということらしい。アンモナイトの化石は虹色に輝くが、古い貝はみな貝殻の内壁を真珠層で覆う。この能力をアサリなどの新しい貝は進化の過程で失ったようだ。巻貝よりも二枚貝に天然真珠が多いという。
真珠といえば「真珠色」のものと黒真珠位しか私は知らなかったが、紫、青、金色、橙、ピンク、赤などの真珠を見て驚いた。そういう色の貝殻内壁を持つ貝から採れる。私は特に金色の光沢に魅了された。コンク真珠という養殖不可能な貴重な種類がある。Floridaを含むカリブ海沿岸で食用にされる巻貝Conch(コンク)に1万個に1個の割合で出現し、しかし更に宝石になるのはその20%とも1%とも言われる黄色、橙色、赤色の真珠だ。一般に真珠は内側から光るような真珠光沢を持つ。半透明な真珠層の内層からの反射と、凸面のレンズ作用がその正体だ。
真珠の養殖は御木本幸吉が世界初と思っていたが、どうも違うらしい。AD400年代に中国では、淡水真珠貝の貝殻内壁に微小な仏像を貼り付けて仏像形の真珠を作った。18世紀のSwedenの科学者Linneは球形の養殖真珠を試作したが商品化しなかった。19世紀には仏領Polynesiaで半球形の黒真珠が養殖された。1893年に御木本幸吉が初めてやや黄色の半球形真珠の養殖に成功し、間もなく真珠色の球形も出来るようになった。Linneの真珠を除けば球形は初めてで、商品化は間違いなく初めてだった。
貝の中に砂粒が入ると貝は痛いから分泌物を出して砂粒を包み、真珠が出来るという俗説を信じていたが、天然真珠の芯に砂粒があることは稀で、大体は食物など有機物の異物だという。養殖真珠は、真珠層が厚く堆積するのを待つのでなく、球形に削った貝殻を外科手術のようにアコヤ貝の体内に核として埋め込み、また貝の外縁にある真珠層を作る組織「ピース」を切り取って一緒に体内に埋める。核の表面に真珠層が出来るのを待ち、その厚み、つまり養殖期間によって値段が変わる。折角核を入れても半分は貝が死滅するか真珠層を作らないかで、1/4は出来損ない、1/4は売れるが宝石になるのは5%に過ぎない。なお模造真珠はこの核の上に魚の鱗や雲母を含む塗料を塗布する。パール色の口紅は魚臭くないのかな。
ミキモトの収蔵品の展示も多数あった。日本に新婚旅行に来たJoe DiMaggioがMarilyn Monroeに贈ったミキモト製のネックレス、口径40cmの真珠製の米国の「自由の鐘」、Washington, DCの「さくらの女王」の王冠、Miss Universe世界大会のTiara、などがあった。
真珠に限らず宝石一般に言えることだが、世界的に見て珍しいことに、日本では古来宝石で身を飾る文化が無かった。銀や珊瑚の簪(かんざし)に止まる。しかし正倉院には伝来品の真珠が多数納められている。大村湾の真珠貝から採れた天然真珠は全て殿様が取り上げた。取り上げても何にする訳でもなく、丁寧に桐箱に入れて保存した。一方では直径1mm以下の微小な天然真珠は、万病に効く薬として飲用されたという。
天然真珠は極めて稀な存在だったから、欧州では古代遺跡から化石になって出土し、古くから富と権力の象徴として珍重された。王、サルタンなど世俗的権力者が真珠の王冠や(男性用)ネックレスを多用するのは理解できるとして、無数の真珠をちりばめたロシア正教の法衣は許せない。宗教者が富と権力を持っては「百の説法、屁一発」である。
1970年頃米Connecticut州の某氏が、食べていた川で採った貝から、赤紫の美しい天然真珠が出てきたそうだ。それを加工して妻に贈った指輪が展示されていた。是非そういう幸運にあやかりたいものだ。 以上