Hawaiiから発つ前日、Oahu島の北端LaieにあるPCC=Polynesian Culture Centerを観光した。Hawaii語でHa!、英語でBreath of the Lifeというショーが素晴らしいと聞いたからだ。事実感動ものだった。PCCは小型のDisneylandで、しかしHawaii、Tahiti、Samoa、Tonga、Fiji, Aotearoa=Polynesia語でNew Zealand、の6か所のPolynesia文化に限る。それぞれのコーナに舞台があり、現地出身者がショーを行うのを見て回る趣向だ。十名ほどの小グループをガイドが引率するコースを私たちは選んだ。
後で判ったのだが、ここはモルモン教=The Church of Jesus Christ of Latter-day Saintsの聖地だった。日本の街角などで黒い背広で熱心に布教しているあのモルモン教だ。PCCは隣接するBrigham Young University-Hawaiiの所有と聞いた。その更に先にはモルモン教の立派な大寺院Templeがあった。歴史的には上記の逆で、19世紀にTempleが出来、1955年には宣教師をPolynesia各地に送りこむ準備教育のために教会付属の短期大学が設立された。今ではPolynesia全地域を中心に70カ国から2,400名の若者を集める総合大学だ。Utahにある本校では学生の98%がモルモン教徒だという。1963年に大学の敷地の一部を割いてPCCを作り、大学と教会の経済的安定と、約700名の学生を雇用して留学支援を図ったという順番らしい。我々の豪快な若い女性ガイドは、経営学部で学ぶSamoaからの留学生だった。因みにBrigham Young(1801-77)はモルモン教の創立者で、Moseと同様に教徒を引き連れて米南西部の砂漠を渡り、祝福された土地を発見してSalt Lake Cityを創立し、後にはUtah州の知事をも務めた。
PCCの各地域コーナでは、それぞれ工夫を凝らした出し物があった。フラダンスの実習、ココナツパンを焼く実演、木を擦って火を起こす実演、観客を引き込んで民族音楽の太鼓の演奏、Maori族同士が武器と大声で威嚇しつつ客人を見極めて受け入れる儀式など多彩なデモがあった。それぞれの土地出身の学生が主体になって担当している。
圧巻は船上のデモだった。池の周囲で見守る観客の前に、6か所の地域の名を掲げた双胴船がそれぞれ数人から十人ほどの男女を乗せて次々に現れ、一周しつつ特有の演技・ダンスを披露し、華やかだった。
夕食はLuauだった。以前Maui島で伝統的なLuauに参加したことがある。Hawaii特有の数十人の宴会で、焼け石と共に地中に埋めた豚の丸焼きを中心に選り取り見取りの料理を食べながら歌と踊りを観賞し参加する賑やかな催しだ。この時は会場は海岸縁の野外で、満月を背景にサーチライトを浴びたプリマドンナが腰蓑を揺らせながら登場し、月の女神のように会場に感動を与えた。しかしPCCのLuauは数百人を収容する大規模なもので、豚の丸焼きはあったが料理はバイキングそのものだった。舞台に次々に現れる男女のダンスを観賞しながら食事するという趣向だった。
入場券の一部に"Temple Visit"のオプション券が付属しており、内容が判らぬままに貪欲に参加したら、上記のモルモン教の施設にバスで案内された。大寺院本体は夜間照明を遠くから眺めただけだったが、付属のチャペルのクリスマス飾りと当施設の歴史の展示を見学した。感想と住所氏名を書けと用紙を渡されたが、賢明にも提出しなかった。驚いたのは日の丸バッジで日本語も話せると表示した若い日本人女性ガイドが、私にはNative Englishとしか思えない流暢な米語で一行を案内したことだった。帰国子女かと尋ねたら、東京生まれの東京育ちと英語で答えた。日本語は聞けなかったが完全なBi-lingualなのだろう。教団のボランティアをしているとのことだったが、近頃の若者には珍しい眼の輝きが見られた。
PCCに戻って大劇場でHa!の演技を見た。両親が天災を逃れて生んだ男児が大事に育てられて若者となり、美しい娘に恋をしたが娘の父親に張り倒される。しかし強く成長して父親にも認められる。外敵との闘いに勝利してまた赤子を得るという物語を、Polynesia各地のダンスで綴ったショーは迫力と魅力があった。プリマドンナの娘はダンスが上手く飛びっきりの美人だったし、筋肉質の若者役も魅力的だった。
Honoluluで半日または1日を割いても惜しくない経験だった。 以上