驚いた。ネット上ではいよいよ日本で「財産税」が施行される可能性が高まってきたという噂だ。企業は別として個人の全財産に課税する税金で、終戦直後1946年の日本で前例がある。今でも固定資産税は一種の財産税だが、ここで言う財産税は相続税と同様に全財産に掛かる。預貯金の一部も政府が強制的に召し上げる、Thomas Pikettyが喜びそうな話だ。
それかあらぬか、2月16日のNHK-TV-GのNews Watch 9は、当時の預貯金凍結を取り上げて報道した。取材では或る日突然郵便貯金が封鎖され、毎月家族数に応じた金額しか下ろせなくなったと。インフレを抑え込む目的だと当時も今も説明されてきたが、実は戦時国債償還の財源確保の目的で財産税を課税するために必須の措置だったと当時の渋沢蔵相が言った。という記録の再発見がNewsだった。「戦争を生き延びられたのが何よりの大儲けで、財産などは二の次」と思ったというコメントも取材されていた。私が10歳前後の話だが、家計の困窮と両親の苦労は漠然と覚えている。貯金は封鎖され、毎月償還の国債はインフレで見る見るはした金になり、母の和服を農家に持って行って食料と交換したため箪笥がだんだん空いて来た。改めて当時の施策を整理してみる価値がありそうだ。
戦時中政府は紙幣増刷で戦費を賄い、国債購入運動で紙幣を吸い上げた。このため国家債務が積み上がり、国民所得(GDPと類似)に対して1941年に116.6%、1944年に266.9%に達した。終戦の年1945年の統計は政府統計から欠落している。終戦で「皆で国債を買おう」運動は無くなって貨幣が溢れ、一方で生産量は地に落ちたため猛烈なインフレになった。1946年の対前年インフレ率は432.9%、つまり物価が1年で5倍になった。
1946年2月17日に新円切り替えと預貯金封鎖(引き出し額制限)が行われた。旧円紙幣を退蔵していても紙屑となり、郵便局でデノミ無しで新円紙幣と交換、または臨時には旧円にシールを貼って新円とした。その交換額または預貯金からの引き出し額が家族の人数などで規制され、等価的に旧円での貨幣の貧富差は新円では無くなった。具体的には世帯主は月300円(約400倍すれば今日の物価)、世帯員は1人100円だった。この時物資をどこからか仕入れて闇市で荒稼ぎした人を「新円成金」と呼んだ。
預貯金を封鎖した上で、1946年11月に「財産税法」を施行した。法人を除く個人の1946年3月3日時点の現預金、不動産や田畑、保険契約、そして株から国債まで、相続税と同様な財産の定義に対して1回限りの財産税を課した。10万円(これも400倍)未満は無税、10-11万円分は25%から始まって累積累進計算で1500万円超分は90%の税率だった。約3%の戸数が課税され、国家債務の約4割がこれで賄えたが、物納が多かった。渋沢蔵相自身も自宅を物納し、天皇家も最高税率まで進んで33億円を納税した。新憲法で廃止される前の華族の多くに、この財産税は没落の契機となった。
1946年10月の「戦時補償特別措置法」で、政府が国民に負う戦時補償債務金額と同額の税金が賦課された。つまり戦時補償はチャラとされた。
この荒療治とインフレのお陰で、終戦時の巨大な国家債務は雲散霧消した。しかし1990年代以降再び国家債務が積み上がり、終戦時とほぼ同じGDPの250%に達している。消費税を10%に上げてもまだ足りない。欧州並みの20%乃至北欧の25%レベルが必要だ。しかしそういう増税も、歳出削減も、時の政府が自滅覚悟でないと出来ない。つまり日本では不可能だ。唯一果敢に経済成長を求めて「債務を増やさない」レベルに持ち込むのが精一杯だろう。国民1人当たり1千万円の国家債務は塩漬けの他は無い。2-3%のインフレが続けば数十年で実質半分にはなる。しかしその過程のどこかで国家財政が破綻する確率は、再びの原発事故の確率よりずっと高い。
だから政府が危機対応策として再度財産税を検討しているとしても不思議は無い。昨年から始まった国外資産調書制度や、来年施行されるマイナンバー制度もその布石だと警戒する人も少なくない。海外逃避防止のため、米国などで行われている「出国税」も検討されているという。相続税相当の税金を払ってから海外移住するならどうぞ、ということだ。
Cyprusでは2013年に預金封鎖と銀行預金元本への課税が行われた。以上