2010年に就航して日本初寄港の3代目QE=Queen Elizabeth号が横浜大桟橋に来ると新聞で知り見に行った。QEは特別な思い入れのある客船なのだ。戦中派には耳慣れたPapua New GuineaのRabaulから鹿児島港に直行し、次いで横浜に来た。船長294m、99千t、定員2千名の巨大な船だ。
1月10日にLondon南西の港町Southamptonを発ってNew Yorkから米国の客船の都Fort Lauderdale, FLへ。中米に立ち寄りつつPanama運河を経由して中米からSan Franciscoへ。Hawaiiから島々を巡ってNew Zealand、Australia東海岸の各都市やRabaulにも。それから日本に直行し鹿児島港を3月15日に発って16日深夜に横浜大桟橋へ。17日深夜に横浜を発ちUターンして神戸、長崎、釜山、上海、廈門(Amoy)、香港からVietnam、印度、中東の各都市、Suez運河を経て、伊、西、ポルトガルからSouthamptonには5月9日に帰る計画だという。高さ56.6mのQEを横浜の表玄関に迎えるために、満潮時55mの高さしかないBay Bridgeを深夜の干潮時(-2m)にくぐってもらったという。朝日新聞Onlineは、16日深夜にBay Bridgeをギリギリで通過するQEの動画と静止画を掲載した。17日には横浜大桟橋から東京、箱根、横浜などへの様々な観光ツアが出たようだ。
港が見える丘公園から太陽を背にして大桟橋を見ようと50%の賭けで上ったが、これは外れで、大桟橋の向こう側(北側)に接岸していた。赤レンガ倉庫に回って逆光の全貌を見た。実は驚いた。初代QEは高速で精悍な定期航路旅客船Ocean Linerの形をしており、2代目QE=QE2もその形を踏襲したので、QEはそういう形だというイメージが私にはあった。しかし驚いたことに第3代QEは箱型の一般的なCruise船の形になっていた。
旅客船とCruise船ではニーズが異なる。Cruise船の乗客は船内部の窓の無い船室や丸窓の船室を嫌い、大洋に開いたベランダを求めるから、出来れば全室にベランダが欲しい。つまり船幅が比較的狭く、船室は横方向に鰻の寝床のように長い。ベランダは海側に開いた箱のようなものだから、進行に際して空気抵抗が大きいが、高速は必要ない。悪天候は避けるのが原則だから甲板を十数階積み上げて幅が狭く背の高い巨大な箱のような不安定な船になる。外観は高層ホテルのようで船舶工学的にはあまり美しくない。一方悪天候でも短時間で定時運行する必要がある旅客船は、高さを抑えベランダは特別船室に限り、安定で精悍な外観になる。QE2では窓の無い内側の客室を安く提供していたが、第3代QEは船客用12階(全体では16階建)のほとんどの客室が海に面したベランダ付きだ。
英資本・米資本の船会社Carnival社(Miami, Southampton)の子会社Cunard社が初代以来QEを保有・運行している。初代はLiverpoolを母港として1938年に進水1940年に就航し、(16世紀の女王Elezabeth 1世ではなく)当時の英王George 6世の皇后Queen Elizabeth(1900-2002)に因んで命名された世界最大の客船だった。しかし第2次世界大戦に巻き込まれて輸送船として使われ、戦後やっと客船としてSouthampton - New York間の定期航路旅客船になった。その後Cruiseにも使用され、1965年前後だったと思うが世界一周の旅の途中に横浜に寄港したことがある。新婚のワイフと観光ボートで海からしげしげと眺め感動した記憶がある。今なら望めば乗れるが、月給が3-4万円=$100だった当時としては憧れの別世界だった。
初代は1968年に引退し、1969年に就航したQE2=Queen Elizabeth 2に引き継がれた。こちらは現女王Elizabeth 2世(1952年就任)に因んでの命名かと思ったのだが、「2号」の2だという。Queen Mary 2という姉妹船も同様で17世紀の女王Mary 2世ではない。我々が米船でCruiseしていた2002年にCaribbean海の小さな島国Barbadosの港でQE2と前後に並んで接岸したことがある。カッコいいと思い、意を決して波止場を歩いて近付き乗り込んだ先の検問で、「アッチの船の乗客だが中で写真を撮らせてくれ」と頼んだが追い返された。9.11事件の半年後だし当たり前だと仲間の船客に嘲われたが、新婚時代に仰ぎ見るだけだったQEに2-3mは乗ったことになる。
ほぼ同定員ながら姿が一変した第3代QEだがQEの名は重い。日本が豊かになってきた歴史と共に3代のQEのそれぞれの記憶を大切にしよう。以上