Ecuadorの首都Quitoは是非訪れたかった場所だ。2010年の南米一周クルーズでMachu Picchuに行った時に、幸い見学は終了したが、大雨で鉄道線路が流され、Machu Picchuの町が孤立してPeru国軍のヘリで救出されたことがあった。その時に失った数日の観光予定の中にQuitoがあり、美しいと聞いたこの町の訪問が宿題のように残ってしまったからだ。今回QuitoとGalapagos諸島クルーズの旅を広告で見て飛び付いた理由の半分はここにあった。インディオの貧しいが活力のある生活の場で、Peruのインカの古都Cuscoに似た面白い街だった。スペイン人が建てた金ピカの教会群が美しかったが、教会を金ピカにすることは私の好みではない。
成田のホテルを出てから米国経由で飛行機を2度乗換え、30時間後にQuitoのホテルに夜遅く到着したのと、標高2,850mの高地に順応のため、午前中は自由時間とされた。午後の市内観光とダブらぬように、午前中は夫婦だけで植民地時代の旧市街をタクシーで巡った。
Quitoは高山に囲まれた谷に細長く広がっている2百万都市だ。中央の200mほどの丘 El Panecilloの頂上に、1976年完成の45mのマリア像 Virgen de Panecilloまたの名Virgen de Quito=Virgin of Quitoが旧市街の教会群を見下ろしている。そこに上った。Virgen de Quitoの原型は、市内で古いサンフランシスコ教会 Iglecia de San Francisco の主祭壇に祀られた1734年制作のマリア像だ。特徴は静的なマリア像が制作された18世紀にあって、右手を上げて首を傾げ、踊っているかのような姿と、天使のような翼で、Dancerとも呼ばれる。Virgen de Panecilloは7千枚のアルミ板で出来ていて、近くから見るとパッチワークのように見える。市内の多くの街から眺めることが出来て、夜間照明も鮮やかだ。
丘を下りて、旧市街の中心にあり最も美しいと評判の1765年のJesus会教会 L'eglise de la Compagnieの見学に赴いた。午後はミサがあって7トンの金を使った内部を見ることが出来ないと予め聞いていたから、午前中に可能性を求めた。ところが午前中もミサがあった。鉄格子が閉まっていて、信者が入ろうとすると屈強な門番が開けてくれる。一群の後についてスルスルと我々も入ったところで、Senior! と呼び止められ、スペイン語と手真似でミサの最中だからお祈りの人だけだ、観光は駄目と言われた。いやお祈りをしたいと手真似で頑張ったら、写真は駄目だぞと言って許してくれた。金ピカの極致だった。インカ帝国と国民から巻き上げた金で飾られて神様は嬉しいのだろうか。Companieという言葉から判るように、この教会は昔はスペイン人専用でインディオは入れなかった。インディオは祭壇に似せた前面のFacadeに向かって祈ったと聞いた。
午後は団体行動で、市の北側の赤道記念碑に近いLa Crater[kra:ter]という名のレストランで現地料理の昼食となった。死火山の火口カルデラを直下に見下ろす火口壁のテッペンにある。カルデラの深い底は平らで畑になっていた。摩周湖と同様に向こうの火口壁から雲が火口に流れ込む景色が美しくまた興味深かった。何だか不思議な料理をあまり美味しくなく食べた後、赤道記念碑を見学した(別稿)。
次に旧市街で、1809年に始まった独立戦争を記念した独立広場Plaza de la Independenciaを訪れた。独立に命を捧げた英雄を称える記念碑が中央にある。広場を囲むのは反時計回りに、北インカ帝国皇帝の宮殿が総督府になり大統領府になった The Carondelet Palace、The Metropolitan Cathedral、市政館 The Municipal Palace、司教館 The Archbishop's Palaceで、いずれもインカの石材を基礎に使った立派な建物だ。
次いで1580年建設の聖Agustin教会では、付属修道院の建物・中庭と、その一角で独立協定を締結したやはり金ピカのチャペルを見学した。それから上記のJesus教会を外から眺め、サンフランシスコ教会ではミサ中ではあったがやはり金ピカの内部を見学させてくれた。最後に高い2本の尖塔が特徴の国立聖堂 Basilica del Voto Nacionalを訪れた。ここは金ピカではなく、ステンドグラスが美しい落ち着いた聖堂だった。
念願叶ってQuitoを訪れその雰囲気の一端を味わうことが出来た。以上