日本最北端の利尻・礼文・サロベツ国立公園を巡るJTBの旅で遊んだ。北海道の東端は知床半島、北方領土から千島に連なる。最北端は樺太を臨む宗谷岬だが、平らな土地と遠浅の海だ。その西隣の低いながら山脈に抱かれた稚内市が港町だ。稚内の西沖に利尻島と礼文島がある。稚内の道路標識は日本語、ローマ字、ロシア文字で、ロシア人と思しき外人が目立つ。Магазинという看板を見つけ、ロシア語の雑誌でも売っているのかと入ってみたら、液晶TVやiPodなどロシア船員向けの土産店だった。仏語のMagasin=倉庫・店を想起し、この原義から18世紀に英語Magazineが「情報の倉庫・よろず屋」の意味で「雑誌」になった歴史を思い出した。稚内駅では、ホームの外れで本当に線路が途絶えていた。道東では北方領土4島がソ連に占領されたが、同様に道北の礼文・利尻が占領されても仕方なかった。ソ連にとっては判断ミスであり、日本にとってはこの美しい2島が日本に残り、最北の国立公園を構成したことは大変喜ばしい。
礼文島にも玄武岩が多いが火山はとうの昔に無くなっており、丘が幾重にも続く。地質学的には数十km離れた稚内の丘に続くと見た。利尻島は利尻富士の名を持つ標高1721mの利尻岳を中心とする火山島だ。20万年前から数万年前まで盛んに噴火を重ね、最も新しい噴火は5千年前という。時代的には伊豆半島天城山に重なり、熔岩も若干気泡が多い他は伊豆半島にそっくりだ。利尻岳は富士山のように美しく、北海道の銘菓「白い恋人」の箱の絵に使われているほどだが、よく見れば富士山より古い分浸食も進み、深い谷が内部構造を露出させている。2島の周辺で暖流と寒流がぶつかるため、San Franciscoと同様に年中霧が発生する。暖流が当たる利尻島は相対的に暖かいが、その陰になる北側の礼文島は寒く、本島の稚内はもっと寒いという。おかげで礼文島では、那須・軽井沢・八ヶ岳などの高原でしか見られない高山植物が、平地や丘でも見られ「花の浮島」を称している。ホテル宿泊客は100%花の観賞に来た客だそうだ。一方8kmしか離れていない利尻島では1500m以上まで登らないと高山植物は見られないし、天気予報は近くの稚内市よりも遥か南の留萌市を見るという。
我々のツアは旭川空港で下りてバスで北上し、稚内の南50kmほどの海岸沿いの広大な湿地「サロベツ原生花園」を訪れた。尾瀬などと同様に沼が植物性沈殿物で埋まったまっ平らな園地に野生の花が咲くのを、一周20分ほどの木道から鑑賞する。礼文島よりも寒いサロベツでは、まだ花には早過ぎる季節だった。日光キスゲと素人目には区別がつかないエゾカンゾウがやっと咲き始めたばかりで、エゾイソツツジという高さ10cmほどのツツジが白い花を付けていた。何でもエゾが付くので、後で街で見かけたチューリップをエゾチューリップと呼んだら、ガイドが真面目に否定した。幸い天候に恵まれ、なかなか見られないという利尻岳が薄青く見えた。
稚内で1泊し翌朝フェリーで2時間弱かけて礼文島に渡り、高山植物に滅法詳しい花ガイドの無線マイクの案内で往復2時間の丘歩きをした。一番の目玉は、咲き始めたばかりのレブンウスユキソウだ。素人には欧州AlpsのEdelweiss=「高貴な白」と区別できない白いつつましい花だ。派手な花ではルピナスを短くしたような赤紫のハクサンチドリとレブンシオガマ、それに青いエゾオダマキが盛りだった。数十種類の花の名を次々に言われてメモしたが、ドレがドレだか判らなくなった。丘から眺めれば霧の海の向こうに雪渓が白く残る利尻岳が見え、幻想的な風景だった。午後は島北端であと1日で閉園となるレブンアツモリソウの群生地を見た。クリーム色のゴルフボールほどの球形の花弁をつける東洋蘭の一種は、礼文島のもう一つの目玉だ。上記2つの目玉の花期は僅かしか重ならない。
礼文島で1泊後翌日午前中は島の西岸を回り、繊維っぽいトドの肉を串焼きで食べたり、海岸で透明なメノウの小片を拾ったりした。利尻島に渡って昼食後、観光バスで島を一周した。利尻島の目玉は登山と温泉、時間が無い人には名峰利尻岳、名水、火山湖、昆布だ。
花の写真を http://www.geocities.jp/shigmatsybb/ に掲げた。最高の季節の最高の天候で日本最北端の自然を満喫した。 以上