世界不況の構造を知りたくて20cmほど日米の本を読んだ。金余りでバブルが発生しそれが弾けたという経済学的構造は詳細を理解した。しかしどうも納得出来なかったのは、Check & Balanceが行き届いた性悪説の米国で、Subprime Loanのようなひどい制度やそれを組み込んだ怪しげな金融商品CDOがなぜ生まれ得たのか、それに格付会社がなぜAAAの格付けを与えたのか、例外事象ではなく米金融界を挙げて皆がやり続けることが出来た背景などの疑問だった。「集団の無責任=皆で渡れば...」があるのは当然だが、それだけでは無かろう。その上に「蓋然性の無責任」「分業の無責任」が働いて皆でバブルを積み重ねたのではないかと思うようになった。どの本に書いてあった訳でもなく、私の既に長くなった人生経験から思いついた勝手な推論だが、多分間違いないと私は信じるに至った。
その人生経験の一つをお話ししよう。昔々私が東芝の大型電算機(Main-frame Computer)の企画管理部長だった頃、年度末近くに営業から或る受注伺が来た。当期業績に大きく貢献する物件だったが、ユーザには移転計画があり、1-2年後に下取特約が発効し通算では損失になる可能性が高いと私は難色を示した。しかし担当部長は少なくとも3年以上は使って貰えるから損失にはならないと論拠と数字を挙げたので、私は首を傾げつつ受注に同意した。営業は直ちに納入して売上を立て当期予算を達成した。
この電算機は結局2年後のユーザ移転時に下取りされ、納入時の利益にも拘らず通算では会社に損失を与えた。後年「あの時は騙された」と私が当時の部長に言った時彼は「(1)3年以上使われる可能性は無くはなかった。(2)上司から受注伺を絶対通せと厳命されたので」と言い訳した。必ず損失になるとも限らない状況で当期業績確保を優先した「蓋然性の無責任」があり、自分は上司指示に従っただけという「分業の無責任」があった。世に同様な事例は少なくないから、これは人間の性だと私は思う。
Subprime Loanを案出した優秀な人達には、当初2-3年間の返済額軽減期間が過ぎたら払えない人が続出すると判っていたはずだと私は思う。その頃までには住宅価格は上がっているだろうから、住民を追い出して転売すればいい、と非人道的な考えもあっただろう。住宅価格が上がらなかったら会社に損失が出ることも当然判っていただろう。しかし必ずそうなるとは限らないから、ならないことを願いつつ「蓋然性の無責任」を決め込み当面の業績を稼いだに違いない。自分は制度を考えただけで実際に低所得者に売り付けた訳ではないという「分業の無責任」もあったろう。
CDOを考えた人も同様だ。住宅価格が下がれば国債は上がるとか、過去のデータを駆使して値下がりし難いPackage商品CDOを編み出した人は優秀な人だったに違いない。理屈は何とか見つけたとしても、支払い能力の無い人に借金させたSubprime LoanをCDOに組み込むことに後ろめたさが無かったはずはない。しかし必ず問題化するとも限らないという「蓋然性の無責任」と、「俺はBestを尽くして提案するのみ。格付会社がどう判断するかは俺の責任じゃない」という「分業の無責任」もあったに違いない。
格付会社は金融商品を作った金融会社から報酬を貰う。会社間で、或いは個人レベルで癒着が無かったとしたら私は驚く。金融会社は良い格付けが貰えるように一生懸命売り込んだはずだ。格付会社には「金融会社の言い分を精査して判断した。我々を騙す巧妙な嘘は金融会社の責任」という「分業の無責任」も、何年も先の「蓋然性の無責任」もあったに違いない。CDOを売る立場の特に優秀な人の中には「俺は正直怪しいとは思うがAAAが付いているのだから」という「分業の無責任」もあっただろう。
これら全てに「皆やってるよ」という「集団の無責任」が加わる。あなたに問う。確かに怪しいが必ず問題化するとは限らず、他人がお膳立てしてくれているから自分が追及されても言い逃れは可能で、しかも米金融界を特徴付ける一生楽が出来るほどの高額な成功報酬が目の前にぶら下がっていたら、あなたならどういう行動を取るか? 平均よりは倫理的なつもりの私でも結構怪しい。皆がこうしてバブルを積み重ねたに違いない。高額な成功報酬こそが世界不況の根本にある、と私は信じたのだ。 以上