東京芸術大学学長の平山郁夫画伯の、ご自分でもことの他気に入っているという名画「黎明薬師寺」を買ってしまった。いや、勿論原画ではなく複製画だ。自宅の壁に掲げ毎日悦に入っている。どんな絵か見たい方は
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医療薬事の仏である薬師如来を本尊とする奈良の薬師寺だ。近鉄奈良線で南下すると、西の京駅を過ぎてすぐ左手(東側)の木々の間から見える。973年の戦火で焼け落ち、730年建立の東塔しか残っていなかったが、1976年に金堂、1981年に西塔が再建され焼失前の姿を取り戻した。境内の北端に金堂が南面し、南からの参道の左右に西塔と東塔がある。「黎明薬師寺」はそれを西南西から見た絵なので、左端に金堂があり、手前に西塔、右奥に東塔がある。朝日が正面にあり空を金色に染めているから、季節は太陽が東北東から昇る夏に違いない。細かく丁寧に描かれているのは3つの建物だけで、建物の裾を隠す木々の緑も、背景の青紫の山も、近景の民家の屋根も、極く単純化されている。平山画伯の絵で、好き好きではあるが私は好きになれない点が一つある。背景と主題の間に微妙な余白があることだ。しかしこの絵では、太陽が正面にあって逆光だから、建物の周囲の余白が光り輝く日差しに見えて不自然さがない。
東塔は、19世紀末に東大教授だった米美術家FenollosaがFrozen Musicと絶賛した。三重塔なのだが、裳階(もこし)という飾屋根が一つずつ付いているため六層に見える。その6枚の屋根の幅と間隔がバラバラなのだが、全体としてリズム感があり極めて美しい。すっかり虜になり、後日高さ475mmの檜の模型材料を購入して30時間も掛けて作り上げた。西塔は建立当時の姿を忠実に復元したので、見た目では判らないが、材木を少しずつ削って補修してきた東塔よりも少し背が高いそうだ。また今の東塔にはない連子窓や組高欄という縁側が復元されており、より華やかだ。
購入したのは複製画とは言っても、原画と同じ岩絵具、つまり様々な色の岩石を粉にして膠で描いた立派な日本画だ。最初見かけた時にはお弟子さんが複製したのかと思ったが、共同印刷が複製を千枚制作して売り出したことを知り、幾ら平山画伯でもそんなにお弟子さんは居ないだろうから、恐らく美術学校の学生などを数十名アルバイトに雇って、作業工程を標準化して制作したに違いないと考えるようになった。
平山画伯は八ヶ岳南麓のJR小海線甲斐小泉駅隣に広大な地所を買われ、まず別荘と1999年に小振りの美術館を建てられた。一度お会いした時に、偶々購入した著書にサインを頂きながらお尋ねした所では、年に1-2回しかご自身は来ておられないらしい。2004年には隣に大きな「平山郁夫シルクロード美術館」を建て、更に駅側に倍増の工事を今年始めるとか。実はその本館完成間もない頃、「黎明薬師寺」の複製画をMuseum Shopで見かけ、是非欲しいと思ったのだが、高すぎて一旦は半ば諦め、今でなくてもと逡巡していた。その内に展示品が消えたので「売り切れたんですか? 欲しいんですけど」と最近言ってしまったのだ。受付の女性は勿論判らず、若い女性の学芸員が出てきても判らず、逡巡せずに買っておくべきだったと悔やみながら、しかしこれは自分で描けということかと、購入は再び諦めた。ところが数日後に彼女から「ありました」と電話があった。
再び美術館を訪れると、丁重に館長室に案内された。館長の平山夫人は不在だったが、壁には丁度買おうとしていた「黎明薬師寺」の複製画が掛かっていた。やはりお気に入りの作品なのだ。それと同じ新品在庫を厳重な梱包から白手袋で取り出してくれた。複製番号は「謹呈/1000」と書いてある。これは良いものを手に入れた。1/1000から1000/1000までの1000枚の他に出来の良い数枚を作家に謹呈する。AP/1000のように表記することもある。昔は知らずになんだAdditional Printかと思ったが、Author's Proof(校正刷りの意)で、連番ものより市場では高価だ。原画は1996年制作の紙本彩色で120x240cmというから、1号(葉書大)4百万円という日本最高の相場で8億円以上だ。個人蔵で公開されていないそうだから、長さで1/4、面積で1/16の複製画で原画を想像するしかないか。 以上