公文書では必須とされる元号に必ずしも反対する訳でもないが、元号で生年や入社年が記載されていると計算に不便だし、元号は時代遅れで面倒な存在だ。だから令和で初めての正月だ初日の出だと言われてもあまり元号に共感は無かった。中国古典の出典ではなく、歴史上初めて日本文化の万葉集から選んだ「令和」と聞いても「へーそうなんだ」と思っていた。しかし万葉集の原典を一度も見ていないことを負い目にも感じるところがあったので、Webを参照して見たが、伝聞のような記述ばかりで求める情報は得られなかった。やはり万葉集から検索するしかないか。
令和に関して色々検索し、次の所に万葉集の原文と解説を見付けた。
http://manyou.utakura.com/index.htm
西暦730年の正月に、大宰師=太宰府長官の大伴旅人が自分の邸宅で「梅花の宴」を催し、九州一円の官人=地方責任者を招いた。各人は梅の短歌を持ち寄り披露した。その32首が、万葉集の巻五の冒頭から十数首目以降に収録されている。万葉集の短歌には後の人が番号を付けているが、05/0815〜05/0846がそれだ。05/は巻五の意味で、08XXがシリーズ番号である。最初と最後の短歌を紹介しよう。[意味]はWebの解説を参考に文責松下。私の感受性が足りないのか、短歌にあまり感動しないのだが。
05/0815[万葉仮名]武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米[大貳紀卿]
[訓読]正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ
[意味]正月になり春が来れば、(毎年)このように梅を招き楽しみ尽くそう
05/0846[万葉仮名]可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛[小野氏淡理]
[訓読]霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも
[意味]霞が立つ長い春の日、(梅花を髪に)飾っているが、ますます心ひかれる梅花だなあ
この32首の前に序文がある。150字余りの漢文=当時の中国語だ。令和の出所となった最初の49文字をご紹介する。
[漢文]梅花歌卅二首 并序
天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香・・・
[意味]梅花の歌32首の序文 天平二年(730AD)正月十三日に、師老(大伴旅人)の宅に集まって、宴会を催した。時に初春の令月(良き月)、雰囲気は良く風は(和)穏やかだ。梅は鏡の前の(女性の)お白粉のように美しく、蘭は匂い袋の香のように薫る。・・・・このような素晴らしい環境で、さあ歌を詠もうではないか。
辞書には「令月」は@物事をするのによい月、A陰暦2月の異称、とあるが、ここでは正月と明記されているからAではなく@だと思う。
上記の序文から「令」と「和」を採って「令和」にしたという。外務省は「令和」を"Beautiful Harmony"と訳して外国高官に説明したという。英語人口にも日本人にも分かり易く、政治的メッセージを込めた訳だと感心するが、もし原典や漢字の本来の意味に則すならば、"Auspicious Tranquillity"とでも言えば、梅花の宴の雰囲気が出る。
令和の原典を知って次のことを感じた。@原典の序文は、梅花の宴も「・・・」の部分も含めて真に美しく理想的な環境を描いている。上司大伴旅人への忖度もあるのかも知れない。その美の一部として使われた「令」と「和」を取り出した命名は文学的に見事だ。A初めての日本文化の元号と聞いたが、中国文化満載の日本文化だった。梅は当時は中国からの華やかな渡来植物で、梅花の宴は中国風の習わしだった。原典は歌の一部かと誤解していたが、漢文=中国語の序文だった。尤も当時は漢文と万葉仮名以外に日本には記載手段が無かったのだから仕方ない。B万葉集全体だったら勿論のこと、例え上記の序文150字だけだとしても、その中から2文字を選び出す組合せは無数にある。好ましい2文字を無数の中から選ぶのだから、原典はむしろどうでもよくて、2字の選び方こそが大事だ。
我が家の令和の梅が、蕾をふくらませてきたことに今日気付いた。以上