年始のニュースは、企業幹部千数百人が次々に神田明神に初詣をする映像を取り上げていた。東芝本社は(多分)そんなことはしなかったが、総務部門 とか秋葉原に関係深い部門はやっているかも知れない。東芝青梅工場の創建当時は、東芝の工場としては珍しく無宗教だったが、2代目の工場長が「工場の人心 統一の象徴」として北西端に笠間稲荷の末社を祭った。以来年始には工場長を先頭に幹部が「四方拝」を行った。東西南北の八百万(やおよろず)の神に礼拝す るものだ。私は個人的にはそれに引っ掛かるものがあったが、工場幹部としての踏み絵はしっかり踏んだ。そのうちにカトリック信者の工場長が生まれどうなる かと心配していたが、何事も無く四方拝は継続された。今は全幹部ではなく有志で続いているとのこと。げに、神道と仏教の祭事を免れることは日本では容易で はない。
National Geographic Magazine 12月号は、世界の宗教統計を1頁の図表にして掲載した。国民が何らかの宗教を信じている割合を色分けで示している。驚くべきは世界人口の85.7%が宗 教信者だというデータだ。VaticanとAfghanistanが100%なのはさもありなん。北朝鮮は28.7%で、宗教の自由が制限されているので 世界一低いと注釈がある。95-100%の濃い色が、中南米、アフリカ、およびノルウェー・ポーランド・ルーマニアから中東・印度を経てフィリッピン・イ ンドネシアに至る広大な帯状の領域に塗られている。日本は北米・イングランドと共に85-90%の色だ。ロシアは独・スウェーデンと共に70-80%の色 分けで、中国・北朝鮮は60%以下の色だ。出典は2005 World Christian Databaseとあった。調査方法が気になるが、National Geographicがいい加減なデータを出すことはなかろう。
付表によれば、中国は50%が無宗教、印度は73%がヒンズー教、米国は82%がキリスト教、インドネシアは77%がイスラム教だとあ る。また世界人口の33%がキリスト教、21%がイスラム教、13%がヒンズー教、6%が仏教、14%が無宗教だとのこと。仏教は歴史上大いに普及した時 期もあったが、ヒンズー教の巻き返しとイスラム教に食われた。あたかも劣位の少数民族が奥地に追い込まれる如く、小乗仏教がスリランカ、ミャンマー・イン ドシナに残り、大乗仏教が中国奥地とモンゴル、日本に留まるだけになった。多神教のヒンズー教・仏教が包容的であるのに対して、一神教のキリスト教・イス ラム教は極めて排他的で、他宗教と倶に天を戴かない。その2つが世界の2大宗教なのだから世情が安定しないのも無理は無いと思える。
独の大衆紙 Spiegel(鏡)は、より詳細な信者数と世界地図を
http://www.spiegel.de/img/0,1020,775969,00.gif
に掲げている。キリスト教内の諸派の分布が興味深い。
日本の統計が面白い。文化庁が毎年「宗教年鑑」を出しているそうだ。それを孫引きすれば、神道 107M、仏教 91M、キリスト教 2.6M、諸教 9.9M で、合計すると 211M になる!! 官庁のやり方は多分、国内の宗教団体にアンケートを出し、信者数を報告させて集計したのだと推察される。宗教団体は競って多めに報告したいだろうし、神社 は初詣の人数を、檀家のない京都のお寺は参詣者数をベースに何らかの係数を掛けて報告するしかないのだろう。米国人口の八十数%が宗教信者であるというの と同じ尺度で日本人の宗教信者を数えたら恐らく30-40%くらいになるのではないだろうか。日本は世界の中で実質的な無宗教者の多い国の一つに違いな い。日本人が世界と付き合う上でこの差異には留意を要する。
国内外の色々な人と付き合って感じることだが、宗教信者は強い。祈ることが出来る人は、少なくとも祈る時には謙虚になる。人は自分を無 にすれば力と安らぎが与えられる。だから強いのだ。しかし強すぎて独善的な宗教信者も時々見かける。選民意識が強すぎて他への思いやりが不足する現象では なかろうか。仏教徒に選民意識や十字軍意識が弱いのは、来世に生まれ変わる時に、虫けらになるか土人になるか判らないからであろう。曹洞宗の修証義第二節 には、転生の中で人身を得ることすら難しいのに、仏法にまで巡り合った幸運を無駄にするなという一節がある。
正月早々我が身の宗教心を自戒して忸怩たるものがあった。 以上