英紙Financial Times(日経が買収)が4月6日に"How to robot-proof your children's careers"(あなたの子供がRobot時代にも生き残れる経歴を積ませる方法)という記事を掲げた。その大綱を日経ビジネス5月16日号が「どうする? AI時代の子供教育」という記事にした。
今の小学生が20年後に労働戦線に加わる頃には、Computerの発達で米国の仕事の半分は危なくなり、インドの2/3、中国の3/4の仕事が無くなりそうだという最近のOxford大の論文を英紙は紹介する。オートメーションが始まった20世紀初頭にも同じ議論があって、マシンがBrawn=腕力 を置き換えるなら、人はBrain=脳(駄洒落)を使うべきだと、教育が強調された。産業革命以来の技術と教育の競争は、20世紀中は人の教育の勝ちだった。しかし21世紀に入って技術がBrawnとBrainと両方を置き換え始め、M&A判断や為替投資までもマシンがやるようになり、教育の再検討が必要になった。初等教育は読み・書き・算盤(Arithmetic)に注力してきたが、読み・算盤はとうにComputerには敵わなくなり、「書き」も急速に追い上げられている。では子供に何を教えたらマシンに勝てるのかと英紙は問う。
AI=人工知能は順序立てて問題を解くが、人間は本能的に、創造的に、想像を飛躍させ、しかも説得面で優れている。こういう創造性の涵養こそ教育の仕事だと英紙は言う。また感情移入でも人は優れている。これからの高熟練度・高給の仕事はEQ=Emotional Quotient(感情係数)が、IQに代わって大事になる。また読み・書き・算盤はどんな時代にも(Computerより良くても悪くても)民主主義社会の安定には必要だと英紙は言う。
日経ビジネスは英紙にはない次のまとめを掲げている。「AI時代の子供の教育に重要な3要素」は、(1)創造性を育む、(2)人の気持を考えられる人間に、(3)「読み、書き、計算」などの基本は体得させる。
記事に言及はないが、近年のAI躍進の原動力はDL=Deep Learningだ。従来のAIは人間が論理を教えたが、DLではマシンに無数の体験をさせ、成功と失敗を評価する方法だけを教える。人間の学習と同じだが人間より何桁も速くマシンは学習できるし忘れない。この方法でGoogleが教育した囲碁Programが最近世界一強い韓国の棋士を破った。NHK-TVの解説(5月15日NHKスペシャル「天使か悪魔か」「羽生善治 人工知能を探る」)によれば、人間が目を疑うような「変な手」を打ってきて、それが後で重要な石になったという。遂にマシンは創造性まで手に入れつつあるらしい。
Deep LearningとSL=Shallow(Surface) Learningとは教育学の用語だそうだ。生徒に長文を読ませた後で面接すると、(1)長文を理解することに重点を置いたDLの生徒と、(2)後で尋ねられそうな文章を記憶したSLの生徒に二分されたという。AIの世界では、人間が教えた特徴を抽出して判断するSLに対して、人間が評価関数(為替で儲かれば高評価とか)だけを与えて無数の具体例をマシンに体験させるDLが対比される。
このNHK-TV番組のレポータは将棋の羽生善治氏だった。彼は将棋だけでなくチェスなどゲーム一般に強く、また通じる英語を持っていることを初めて知った。彼が面白いことを言った。「先手を沢山読める人が将棋が強いのではなく、少数の先手を読むだけで駒が打てる人が強いのだ」と。これは私の理解の外だった。前者がSLで後者がDLなのかも知れない。
どんなにAIが進んでも、能力の高い人間は社会で必要とされると思う。能力には知性や感受性も勿論だが、対人能力、芸術能力、外見、高い技能(板前など)も含まれる。Amsterdamの飾窓にRobotが並ぶ日は来ないと思う。宗教も冠婚葬祭も無くならない。警察も裁判所も忙しくなる。では能力の無い人はどうなるか? 多分仕事は無くなる。今でも新橋から出る「ゆりかもめ」は車掌はおろか運転手も居ない。やがて駅員も居ないエレベータ並みの無人鉄道も出現するだろう。仕事の無い人たちは公共給付金で生活するようになるだろう。そうしないと社会が安定しない。子供を育てるのに、社会性が今より重要になるだろうことに異論はないが、それだけではなく、電気工学の専門家や民法の専門家、素粒子の研究者の職が無くなることはなかろう。何であれ能力を磨くことが大切なはずだ。 以上