我家の部屋の壁にはRosetta Stoneが掲げられている。昔Londonの大英博物館British Museumで、古代エジプトの象形文字を解読する鍵となった石碑Rosetta Stoneを間近に見て感動し、ミニチュア版を館内売店で買って帰った。上部は左右の角が欠けた三角形だ。本物は70cm角に三角屋根を付けた形の分厚い黒玄武岩だが、我家のはその1/4ほどの縮小版だ。
Rosetta StoneはPtolemaios王朝(ギリシャ語。英語ではPtolemy)最後のCleopatraより1世紀半前の196 BCに作られた。国是のような高邁な記念碑かと思ったら、Ptolemaios V が僧侶手当を増額したので、王の肖像を国内全寺院に祭り日に3度お参りすると、Memphisの僧侶が誓った証文だそうだ。Alexander大王の将軍だったPtolemaios I は、前4世紀にエジプトを征服して王朝を建て、エジプトのギリシャ化に努めた。Cleopatraをエジプト人だと思うと大間違いで、立派なギリシャ人だった訳だ。
1798年にNapoleonがエジプトを征服した。その軍が翌年Nile川三角洲でRosetta Stoneを見つけた。当時エジプトは既にアラビア語の世界になっていて、アラビア語でRashid、仏語でRosette、英語でRosettaと呼ばれた町が発見場所だ。その報はParisからたちまち全欧のエジプト学者に広まった。同年英Nelson提督はNepoleon海軍をNile河口で破り制海権を握った。Napoleonは軍隊をエジプトに残したまま単身仏に戻って再起を図った。1801年に英軍はエジプトの仏軍を破り、英将軍は真っ先にRosetta Stoneの入手を狙った。仏将軍は私有物だから戦利品には出来ないと抗弁したが結局取り上げられ、1802年末には大英博物館に収まった。
象形文字は鏡像関係の表裏2種類が使われる。英国の天才Thomas Youngは、動物の絵が右に向いているRosetta Stoneでは右から左へ読み、逆なら左から読むことを発見した。石碑上で象形文字が枠で囲まれている6箇所は、短い同一単語の2箇所と、それを前半に含む3箇所の長い同一単語と、半欠けで長短が判らない1箇所とがある。僅かな文章に6箇所も出てくる同一単語は、ギリシャ語部分の出現頻度から類推して当時の王の名Ptolemaiosであろうと推察し、長い単語の後半は敬称と考え、この石碑以外とも対比してそれを証明した。こうして象形文字の一部が読めた。
仏の天才Jean Francois Champollionは少年の頃から古代エジプトと象形文字に憧れ、古代エジプト語の後裔であるNile中流のキリスト教徒の言葉Coptic語を勉強した。或る日Abu Simbel神殿の壁の象形文字のコピーを見て、前13世紀にこの神殿を建てたRamesses Uの名が枠に入っていたのを読むことが出来た。王の名は必ず枠入りという正字法を知り、他の様々な王の名も歴史的知識とCopticの知識から推定でき、表音文字を次々に解読した。仏王から伊のエジプト文献調査の旅の費用を拝領し、Louvreの学芸員となって古代エジプト文献を集め、遂に自らエジプトに旅し、Copticの知識を駆使して次々と象形文字の文献を解読した。
そういうロマンを我家の小さなRosetta Stoneは語っている。 以上