英Cambridge大で、昔Newtonが使っていた机を使用する栄誉を得ていた有名な理論物理学者Stephen William Hawking教授が3月14日に76歳で亡くなった。21歳の学生の時に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され余命2年と宣告されたそうだが、その後病気の進行が極端にゆるやかになったというから、教授本人も物理学界も望外の幸運を得たことになる。車椅子の特異な写真が印象的だから、物理に無縁な人にも広く知られている。
Hawking教授は、当然と思われるNobel賞を貰っていない。実証できないような理論ばかりやってきたからだと言われる。Einsteinの相対性理論も、今でこそGPSに実用化されているし実証されているが、Nobel賞受賞当時は、人の直感に背くこの不思議な理論は実証が難しいとされていた。しかし偉大かも知れないこの理論の創出者にNobel賞を与えないと、後日Nobel賞の権威が問われることもあり得るから、Einsteinのもう一つの業績である光電効果の理論に対してNobel賞を授与した。光電効果は、太陽光発電パネルで実用化されているが、光を電気に替える物理現象だ。
Hawking教授は、しゃべる時には自動音声発生装置を使った。手で操作できなくなって以降は、右頬の筋肉を動かして操作したというが、想像もつかない。24時間の介護が必要なので、看護婦出身の再婚の奥さんの他に3交代で看護婦を付けていた。その費用は米国の篤志団体が負担した。
教授は理論物理の最先端を推し進める研究者であると同時に、最先端の物理を一般大衆に平易に説明することに熱情を持っていた。一般向けで有名な著書"A brief history of time"は私も読んだ。空間と時間の性質や、宇宙の歴史と将来を論じてベストセラーになった。1990年代の初版は一部から難しいと言われ、次々に分かり易い改訂版を出している。
物理学には、うまくつながっていない2つの世界がある。@微粒子の動きを解明する量子理論と、A宇宙の仕組を解明する重力などの一般相対性理論だ。微小世界の理論と巨大世界の理論だ。両者を統合する統一理論が森羅万象を説明するはずだと、理論物理学者が懸命に研究し、数々の提案もなされている。Einstein自身も当然統一理論を指向したが成功に至らなかった。以来百年、超紐理論など有望な方向は出ているが未だ成案は見えていない。この2つの世界を同時に追求した初めての学者がHawking教授だそうだ。但し統一理論を案出する方向ではなく、相対性理論に支配されているBlack Holeを格好の題材として、そこに初めて量子理論を適用した。Black Holeの自転軸方向に"Hawking Radiation"と呼ばれるエネルギー放射が生じ、徐々にエネルギーが洩れ、最終的には蒸発・消滅するという理論を構築した。これが物理学界に大きな騒動を巻き起こした。
エネルギー保存の法則は有名だが、量子理論には「情報保存の法則」がある。粒子は波動関数に従って動く。その波動関数という情報を持っている。粒子がどのような反応を起こしても、この情報は次の波動関数に引き継がれ保存されるという。波動関数を実感できない素人には実感し難い話ではある。ところがBlack Holeが蒸発してしまうと情報も消滅して保存則が成り立たないという"Information Paradox"が生まれ、それを説明する各種の仮説が出現した。
笑ってしまうのは、Hawking教授も共著者になっている2016年の論文だ。Black Holeには禿型と髪型があって、粒子が髪型Black Holeに引き込まれる際には、情報をBlack Holeの境界線上に残して引き込まれるという仮説を提供したという。
Hawking教授はまた、人類は気候変動問題に素早く取り組むべきで、それを含めて様々なリスクが人類を襲う可能性があるから、他の天体に早く移住できるようにすべきだとの信念を持っていたという。また人工知能に危惧を持ち、機械が向上すると人間が堕落することを心配していたそうだ。人類の歴史をみると"History of Stupidity"だから、今後も人類の愚かさは続き、明るい未来は描けないと見ていたそうだ。
しかしHawking教授自身の人生は、身体的逆境にも拘わらず優れた知性で文化的業績を達成して尊敬を得た。幸せだったと想像したい。 以上