聴力を失ったにも拘わらず果敢に80分の交響曲「Hiroshima」などを作曲し「日本のBeethoven」とマスコミの寵児だった佐村河内氏(1963-)のGhost Writer新垣隆氏(1970-)が2月6日に出現して一時話題になった。18年間に20曲以上を提供したと新垣氏は告白した。新垣氏は桐朋学園大卒のClassic系現代音楽の作曲家・ピアニストで、若い頃はピアノの天才と言われたこともあったとのこと。同大の作曲の非常勤講師だった。
「Hiroshima」については(1)初歩的なピアノ演奏しか出来ない佐村河内氏が「祈り」「啓示」などのイメージを1頁にまとめて指示し、(2)新垣氏が幾つかの旋律をピアノの録音で提示し、(3)佐村河内氏がそれらを聞いて(!!)選択し(新垣氏は「佐村河内氏との18年間で耳が聞こえないと思ったことは一度も無い」と)、(4)それらを活かして新垣氏が作曲したものを、(5)佐村河内氏が自作と詐称して発表した。
一連の詐称騒ぎが起きる前の2013年11月に「佐村河内氏は怪しい」と看破した論文があると聞いて「そういう卓見の人が居たのか」と感心し俄然興味を持って読んだ。Amazon等Onlineで購入でき、\100+税だった。
新潮45eBooklet「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か 野口剛夫
野口氏(1964-)はClassic音楽専門の音楽学者、作曲家、指揮者だ。中央大大学院で哲学を学び、桐朋学園大研究科で音楽学を習得したという。
論文冒頭の導入部「現代のベートーベン」で筆者は佐村河内氏と業績を紹介している。3万枚CDが売れれば大ヒットのClassic界で交響曲第1番「Hiroshima」は2013/7までに17万枚売れた(その後18万枚に)。マスコミは佐村河内氏の音楽よりも生涯に焦点を当てた。原爆被爆二世として広島に生まれ、35歳で聴力を失い、原因不明の激痛と闘いながら、絶対音感を頼りに作曲したと称した交響曲は聴衆の多くを涙ぐませた。このように物語で音楽が売れた例は過去にもあるが、人生経験と音楽作品は本来別だと筆者はいう。ただ物語が音楽のPromotionになるなら、それに反対はしないが、嘘や言行不一致は許せないと、佐村河内氏にそれらがあることを筆者は示唆する。「全聾の天才作曲家」とマスコミが騒ぐので筆者は音楽を聴いてみたが「本当なのかな」といぶかしい感じを持ったという。
「聞こえている?」という見出しで筆者はその疑問を敷衍する。佐村河内氏の著書に「耳が不自由な作曲家への同情票は避けたい。それほど自分は図太い神経を持っていない」と書いている一方で、氏が如何に様々な病苦に悩まされ不遇な人生を歩んできたかというお涙頂戴の内容が同書には満載で、看過できぬ矛盾を感じると筆者は言う。TVでの氏の発語が健常者と変わらぬ自然なものだったことから、筆者は全聾に疑問を持ったと。
「どうもおかしい」の見出しでは、交響曲「Hiroshima」からは、被爆地の抱える重いメッセージを感じることが出来ないと筆者は言っている。苦痛に悶絶する音楽はあるが、個人的な感情の表白であり、なぜ原爆のような殺戮兵器を使ってしまったのかという根源的な問いをこの音楽からは感じ取れなかったという。しかし昨年8月の作曲者インタビューで佐村河内氏が、副題「Hiroshima」は交響曲の完成後に付けたと語ったので、筆者は初めて違和感の原因を理解したという。しかしそれを看破した筆者はすごい。次に筆者はなぜそこに「Hiroshima」と付けたか、マスコミ向けの話題作りで、金銭的な狙いではないかと疑念を提起している。
「真実性に乏しい作品」の見出しでは、佐村河内氏の音楽だけを聴くと世間が騒ぐ理由が判らないという。過去の巨匠たちの作品を思わせる響きが随所に露骨に表れるのは興ざめで、終始作り物・借り物の感じが付きまとう、とも言っている。特に最も大事な交響曲の最終章が、Mahlerの交響曲第3番の焼き直しのような響きなのはどうなのかと問うている。
「Hiroshima」は、交響曲の形式を採っているが、中身はムード音楽的な感覚的刺激の現代音楽だと筆者は断じている。Ghost Writerの新垣氏の専門分野が現代音楽だったことを筆者は実質的に看破していた訳だ。
世の中が佐村河内氏を絶賛していた中でこれだけの洞察をし、かつ論文として公にする勇気・自信の筆者野口氏や恐るべし。 以上