2月21日のNHKクロズアップ現代は、珍しいことに由紀さおりを取り上げた。国谷裕子氏が夜明けのスキャットでも歌うのかと思ったら、なぜ由紀さおりの歌謡曲が今世界中で人気を得ているのかを探求する企画だった。私も同様な興味を持って、人気を博していると聞いた「1969」という面白い表題の米国版CDを1月初めにAmazonに注文した。しかし注文殺到で生産が間に合わず遅れに遅れて2月初めに米国から直接の郵便で届いた。
灰色の紙製のジャケットの表裏2か所に、Pink Martini & Saori Yukiと白く大書してある。良く見るとその後に気付かぬくらい薄い色で1969と書いてある。Pink Martiniは、米国Portland市をベースに世界で活躍するジャズバンドで、リーダはピアニストのThomas Lauderdaleだ。北米以外では日本も含めてEMIがCDの販売権を持ち、北米はPink MartiniのHeinz Recordsが出している。ジャケットは同じだがCDの収録曲は少し違う。世界20カ国で販売され、特に北米、Singapore、ギリシャでヒット中とか。
ThomasがPortlandの中古レコード店で偶然由紀さおりの夜明けのスキャットと表記された日本のLPを買ったそうだ。単に若き日の由紀さおりの横顔が美しいジャケットが気に入ったとか。そのLPで気に入ったタ・ヤ・タンを2007年のCDにカバーして入れた。「タ・ヤ・タン...私のときめきよ....タ・ヤ・タン...私はギターなの...」という歌だ。タ・ヤ・タンに意味は無い。Pink Martiniがこの曲をカバーしたことは由紀さおりの知る所となり、両者のコンタクトが始まり、「いつか一緒にやりたいね」という話になったという。Starbucksが、東日本大震災に利益を寄付するからとPink Martiniに曲を依頼し、Thomasは2011年3月末に由紀さおりをPortlandに呼び、夕月を収録してiTunesで販売した。
その反応を見て上記のCDを出すことになった。興行企画はThomasだ。由紀さおりが夜明けのスキャットでデビューした1969年に発売された曲を12曲集めた。だから由紀さおりの曲はそれ1曲で、後は由紀さおりがカバーしていた曲も含めて全て他の歌手の曲だ。米国版では、日本語で歌う日本の歌謡曲が7曲、日本語の歌詞で歌う英語の歌が4曲、仏語の仏の歌が1曲だ。米国版CDの最初は2-3秒の琴の音で始まり、琴の伴奏で元々黛ジュンが歌った夕月がさおり節で流れる。音域が広い由紀さおりだが、Thomasは癒し度の向上を狙って敢えてほぼ全曲の音程を2-3度下げたという。
クローズアップ現代は、なぜこれが評判になったかを問うた。或る作詞家は洗練された日本語だと言ったが、外人がそれに気付くはずは無かろう。日本語の詩を作る米人は、(1)由紀さおりは何語であれ歌詞の向こうにある心を歌う、(2)米人にウケようと思わず心の赴くままに歌ったのがよい、と言った。(1)は由紀さおりの、(2)はThomasの才能であろう。
音声学者は(a)由紀さおりの声はFormantが異常に多く迫力がある、(b)日本語の歌詞は、音符1つに子音が原則1つで、外国語の歌詞のような忙しさが無い、と言った。(b)は直ちに納得だが(a)は解説を要する。
母音を周波数分析して声紋を表示すると、一番強いのが声の高低を決める基本周波数だが、その整数倍の周波数を持つ高調波が生まれ、その一部が口の形や舌の位置などの発声器官で共鳴して強調される。その強調部分をFormantという。男性が基本周波数100Hzで「ア」と言った時、第1 Formantは(第6-第8高調波の)600-800Hzに、第2 Formantは1-1.2kHzに、第3 Formantは2.4-2.6 kHzに生まれる。女性が基本周波数200Hzで「ア」と言った時には、(第3-第4高調波の)600-800Hzが第1 Formantになるか、発音器官が小ぶりな分2-3割高めになる。こういうFormantの組合せを我々は「ア」と認識する。音声学者は声紋を画面で示し「由紀さんはすごい。第8 Formantまで強烈に出ている。普通の人は第3 Formantより上は弱まるのに」と言い、独奏とオーケストラの迫力の差だと言った。
結論として私は、母音中心の日本語の特徴と、Formantが豊かな声質と、滅法正確な音程でのベテランの表現力が、世界の人々に癒しを与えているのだと受取った。比較的面食いの傾向がある私としては取り立てて好きな歌手ではないのだが、歌唱力にはいつも一目置いている。 以上