2006年Nobel平和賞のMuhammad Yunus(ユヌス)教授の近著の続きだ。
Creating a World Without Poverty, Muhammad Yunus,
PublicAffairs, New York, 2007, pp282
"Social Business is the missing piece of the capitalist system."と教授は主張する。「社会貢献企業」とでも言おうか。伝統的な企業をProfit-Maximizing Business=PMBと呼ぶ。資本主義は、人間も企業も全て利益最大化に動き、それが自然に社会全体を良くする、という思想に立つ。それが誤解だと教授は言う。人は金以外にも色々な価値を見出し、寄付したりVolunteerをしたりする。だからPMBを否定はしないが、利益指向ではなく「貧者を救済する」とか「環境を良くする」とかを目的とする「社会貢献企業」があり得る。将来は社会貢献度で株価が決まる専用株式市場や、社会貢献度を監査する専門の監査法人や格付会社が出来るべきだという。出資者には出資額を徐々に返却する以上の配当はしない。儲かりもしないのに出資する人が居るのか、という質問に対して教授は、人は利益だけで動くという資本主義の誤った思想からその質問になるが、寄付で運営される福祉団体に比べると社会貢献企業はよほど「まとも」だと答える。私は感心しつつも、利益を目的とするPMBでも中々利益が出ないこの世の中で、社会貢献を目的とする企業が経済的に自立できるのかと疑問を持つ。それに教授は次の実例で答えるが、金持企業との合弁が多い。
教授はGrameen Bank自体が社会貢献企業だという。またEvianで有名な仏大企業Group Dinoneとの合弁で貧者の幼児に栄養を補給する強化Yogurtを安価に製造販売するGrameen Dinone社を創設し2007年初めに稼動したのも、当初からDinoneが納得して社会貢献企業にしたという。Dinoneの徹底した市場調査とGrameenの市場理解が相俟って企業が立ち上がった経緯が本書に詳述されている。更にGrameenは英国の人気音楽家の寄付で眼科病院を設立したが、これを社会貢献企業に育てたいと言う。払える人は通常料金だが、貧者には名目料金で診療する。2009年1月には水道事業の合弁が稼動予定で、Intelとの合弁で貧者にITサービス提供を構想中とか。
海面上昇に敏感な国だけに教授は環境問題に多くの頁を割く。資本主義では解決できないから環境・社会貢献企業が活躍する場があるとしている。またGrameenは貧者の教育に注力し、Pre-Schoolを運営し、子供の通学を必須条件の一つとして融資し、奨学金と就学ローンを提供する。
CSR=Corporate Social Responsibilityを掲げるPMBもあるが、どうしても利益とは矛盾する。あくどく儲けたごく一部を寄付してもマイナスの貢献だという。寄付頼りの慈善事業は寄付金が制約条件で大きく伸ばせないしリーダは社会貢献よりも金集めに奔走しなければならぬ。社会貢献は政府や公共団体の仕事と言っても、非能率で痒い所に手が届かぬという。
貧者には自活力があるのだからそれを助ければ良いというのが教授の強い主張だ。貧者が生きていること自体が自活力の証明だという。政府や慈善団体が貧者に職業訓練を施して「何人訓練した」と成果を誇るのは笑止で、職業訓練が必要と本人達が思った時に訓練の機会を提供すれば全然効率が違う。IT技術は貧者救済の大事なツールで、インターネットサービスは市場価格を知って値段を交渉する手段として貧者に普及したという。
無料は貧者のためにならないと教授はいう。善意を追いかける人を作るからだ。洪水の際外国から届いた無償の小麦すらGrameenは有償で配布し、払えない人には融資し、代金を社会貢献で還元した。無償にするから価値が曖昧になり、汚職がはびこり不公平が生まれると主張する。
教授はNobel賞が平和賞であったことを喜ぶ。テロを武力で抑えることは不可能で、貧者を自活的に救済し将来に希望を持つ自尊心ある市民に育てることこそ最大のテロ対策だと言う。巻末のNobel賞受賞講演の表題は Poverty is a threat to peace.であった。Bangladeshは世界銀行の定義で貧者が1974年に74%だったが、2005年に40%となり、毎年1%ずつ減少しているから、2015年までに貧者半減という国連目標は達成可能という。
善意の偽善者として、Grameenに僅かながら貧者の一灯を捧げた。以上