快晴の7月17日蓼科山に登った。ワイフを誘ったが断られた。深田久弥氏選定の日本百名山の1座だ。この美嶺に一度も登っていないことが口惜しかった。蓼科山は諏訪富士とも呼ばれる。西側の諏訪から見ると富士山に似た姿だ。優美な山容から女神山とも呼ばれるから、麓の人造湖は女神湖と名付けられた。より有名な白樺湖と並ぶ観光スポットだ。
女神湖から見た蓼科山は富士山型にはほど遠い。ほぼ円錐形の2530mの蓼科山だが、東北側にだけ2380mほど(三角点は2354m)の前掛山が張り出し、ほぼ水平な台地を形成している。前掛山がまずあって、その南西の中腹から噴火が続き、富士山型の蓼科山が成長し高くなったという。
蓼科山はほぼ円錐形の山だから、あらゆる方角から登るルートがある。主要ルートは、Venus Lineが山の南南西の麓を通るスズラン峠の駐車場1720m辺りから登る。私はそこを通り過ぎ、林道で時計回りに山の北北東にまで回り込み、大河原峠駐車場2093mに車を置いた。労苦を惜しんだ裏口入学のような後ろめたさもあったが、合理性と言わせて貰おう。
朝6時過ぎに既に駐車場には20台も車があった。色々な登山ルートのハブになっているので、全て蓼科山に登る人とは限らない。6:25に出発して熊笹とシラビソの林を登る。足よりも口が達者な中年夫婦を出発点で追い越してからは前後に人が居ない淋しい登山になった。道が周囲よりも低くなっているからだが、熊笹が背丈よりも高い場所も多く、ワイフに「熊に気を付けて」と言われたことが急に気になり始めた。最近は意外な所に熊が出没するから、「熊」笹という名からして気になる。熊鈴を持って来なかったので、努めて足音高く呼気荒く登る。勾配30%ほどのかなりの急坂だ。男性が1人下りて来た。「お早いですね」と言ったら「昨夜は上の山小屋に泊まりました」と。やっと人に会えたので淋しさが紛れた。
登るにつれてシラビソの下草が熊笹からシダに、それからスギゴケに変わったので、熊の連想から開放された。道の土砂が洗い流された後に川から運んできたらしい丸い石を大量に敷いているので歩き難い。道中常に蝿に付きまとわれた。兎の糞や鹿の糞と思しきものに銀蝿がたかっている。道に小さな白い花弁が無数に落ちている。見上げたら野生のナナカマドの花だった。ゴゼンタチバナという白い小さな草花を見かけた。
「佐久市最高点」の標識が道端にあり、前掛山に登り終えたことを知った。以降1kmほど長い緩やかな下り坂になる。折角喘いで登ったのに勿体ない。下り切って蓼科山本体の登りに掛る2350m付近がなぜか「将軍平」という地名で、コバイケイソウの花が咲き始めていた。他の登山ルートとの四つ角に蓼科山荘があった。ここで7:25、丁度1時間掛った。ここからの登り坂の道連れは一挙に増えた。今度は勾配50%ほどの岩塊の坂を標高差200mほど登る。朝日をまともに浴びて暑い。一部には鎖場があった。ラジオをガンガン鳴らしながら登る初老の男性を追い抜く時に「きついですね」と声を掛けたら「女房を先に行かせてリュックは道端に置いて来ました」と苦しそう。それでもラジオだけは手放さないのは熊恐怖症か。
8:00に蓼科山頂ヒュッテに到着した。山頂は直径150mほどの噴火口跡で、火口も火口壁も1-3mほどの熔岩の塊が積み重ねられている。テトラポッドの上を行くようで歩き難い。火口の真ん中に蓼科神社の石の祠と鉄の鳥居があった。周囲は360度の展望だ。八ケ岳諸峰は勿論、御嶽山、南北アルプス、妙高山が見えた。西に白樺湖、北西に女神湖を見下ろす場所で若い男性のグループが「スイスの景色のようだ」と感激していた。 巨大な熔岩の塊が無秩序に積み重なった地形はどのように形成されたのだろうか。溶岩流がひび割れて長い年月で崩れて積み重なったのだろうか。ヒュッテのおじさんに尋ねてみたが要領を得なかった。
8:25に下り始め、すれ違う多数の登山者に道を譲りつつ9:45に駐車場に戻った。蓼科山周辺の駐車場は既にどこも満杯で路肩に車が溢れていた。往復3時間20分の短時間勝負に過ぎなかったが、登りは持久力と筋力、下りは足首・膝の柔軟さと足が揺らいだ時の機敏な反射神経が必要な山だ。類稀な美しさと優しさを纏いながら実は大変厳しい女神だった。 以上