宇都宮市は今月はマロニエの花で一杯だ。正確には仏語でMarronnier、英語でHorse Chestnutは、日本語では「西洋栃」、日本の栃の木とは違うそうだが、素人目には木姿も葉も花も見分けが付かない。ワイフは鬼怒川の近くで生まれ育ったので宇都宮は懐かしいのだそうで、娘時代には無かった栃並木の花盛りを見たいというので、宇都宮在住の義姉を訪ねた。栃の花を思い出せない方は、Wikipediaを参照されたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83
勿論栃木県の県木であり、南部の8万の町栃木市の市木でもある。因みに50万都市宇都宮市の市木は銀杏だ。元々宇都宮県と栃木県が設置されていたが、統廃合で宇都宮県は合併された。合併後も引き続き栃木市に県庁が置かれていたが、栃木市に起こった自由民権運動を嫌った県令が1884年に県庁を宇都宮に移したと言われる。
宇都宮は何時の間にか「餃子の街」「ジャズの街」という売り出し方になったが、ワイフの娘時代には餃子やジャズが有名とは聞かなかったそうだ。同様に街を挙げて1ヶ月間「マロニエ祭」でもやれば、足利銀行破綻で落ち込み勝ちな市街も盛り上がるのではないか、と思うのだが、面白いことに地元の人は栃の花にほとんど関心が無いらしく、義姉が離れた場所の開花状況を電話で尋ねても、知る人は居なかったそうだ。
栃木市にも栃の木は多いが、宇都宮市の特徴は街路樹に広範囲に栃を植えていることだ。栃を県木と定めた時ではないかと想像するのだが、数十年前に県庁前の通りに栃の若木が街路樹として植えられたそうだ。因みにここには市木銀杏も植えられている。県庁と1kmほど離れて相対する市役所の周辺にも栃の木が多い。県庁前の栃は今や大木となって葉を茂らせ、昼なお暗いほど緑豊かな大通りとなっている。そのためか白い花は明るい側面にしか咲いていないように見えた。反って根元に点在する若い栃のピンクの花が盛んだ。栃は秋には栗のような実をつける。栗にはイガがあるが、栃の場合は尖ってはいるが針状ではなく数も少ないので丁度大きな金平糖のようだ。その金平糖の形で落果することが多いが、中身の栗がはじけて落ちる場合もある。それが通行者の頭に当たって怪我でもしたら大変と、宇都宮市では花が終わってから実が落ちるまでの期間に実を落とす作業をしているというが、よほど柔らかい頭でないと怪我しそうもないし、高い所にある実を全部落とすのは大変そうで本当かなあと疑った。因みに栃の実は古来飢饉の時にはアクを抜いて餅にして食べたそうで、今でも観光土産として栃の餅や煎餅を売っている。
宇都宮の栃の花は、白とピンクがある。大多数の白よりピンクの方が開花が早い。現在はピンクと日当たりのよい白が満開で、多くの白はこれから開花する。JR宇都宮駅前にも多数の栃の木がある。ここの白い花はまだ見られない。宇都宮駅から西に伸びる大通りの街路樹も若い栃だ。駅近くは白い花が咲いたりまだだったりだが、その先のピンクの街路樹はほぼ咲き揃っている。郊外の公園や街路樹にも栃は多く用いられている。
市役所の隣に最近整備された宇都宮城址がある。バスガイドを定年退職した女性がボランティアで案内してくれた。さすがプロは詳しく話はうまいが、くどくて長いのには閉口した。長時間のバス旅行でいねむりしながら聞く説明とは違うはずなのに。本丸は堀に囲まれ、高さ10mの土塁の上に土塀を巡らせたものだったようだ。その極く一部が復元された。首都防衛の軍都だった宇都宮は爆撃で灰燼に帰したが、爆撃前のB29による偵察写真を提供して貰って参考にしたという。土塁に見える部分は内部が鉄筋コンクリートの防空壕のように空洞になっていて、まさか原爆を想定した訳ではあるまいが、大規模災害の避難所と救援物資倉庫になっているという。土塀に連なる檜造りの2つの櫓から市街を眺めた。東北地方の外様大名に睨みを効かせる譜代大名の拠点だった宇都宮城は、戊辰戦争では当然幕府方かと思ったら左に非ず、京都で天皇家に仕えた歴史を持つ藩主は時代を読んで官軍につき、幕府軍に一時期攻略されてしまったそうだ。
マロニエの花を惜しみつつ「やまびこ」で帰路についた。 以上