わらう人が居るかも知れないが、Arizona Highwaysを三十数年間購読し続けている。元々Arizona州交通局が新道開通や改修のお知らせで始めた刊行物が、Arizonaは荒涼とした砂漠ばかりじゃないよ、遊びに来てよ、という観光案内になり、有名写真家がついてArizona特有の人文地理を美しく紹介する写真雑誌となってArizona内外の読者に支持されている。A4判よりちょっと大きい月刊誌だ。Arizonaの州都PhoenixのGEのコンピュータ事業部(後に合併されてHoneywell)と東芝が提携していた頃、GEからの贈り物として1年間購読したのが止まらなくなってしまった。最近号5月号の裏表紙は、電柱状の巨大サボテンSaguaroの白い花の写真だった。そうだこの季節はこの花の季節だったと懐かしく思う。表表紙は女性の胸元に輝くIndian Jewelryのトルコ石と銀細工だ。
1960年代に最初にArizonaでトルコ石を見かけた時には、全然美しいとは思わなかった記憶がある。青から青緑色の色は綺麗だが不透明な石は宝石らしくなく、それを飾った銀細工はゴツゴツとして洗練されていないと感じ、ワイフをトルコ石で飾りたいとはつゆ思わなかった。Arizona Indianの民芸品で、当時はArizonaの外で見かけることは少なかった。
それが1970年代に入って大ブレークし、全米の女性・男性を飾るようになり、全米の民芸品店で売られ始めた。今では竹下通でもスペイン坂でもどこでも売っている。ビジネスの相手や奥さんがトルコ石のループタイやネックレスをつけているのを見て、欲しくなったのは流行の影響らしい。特異なものだったのが頻繁に見かけて目が慣れてきたら、トルコ石の美しさが分かってきたのだ。特にArizona州北西部の町Kingman産のトルコ石が美しいことも知った。訪れたいと思ったが何せ遠い所で飛行機でわざわざ飛ばぬ限り行けないから、ついぞ行ったことはない。Arizona州北東部のNavajo Indian保留地、Hopi Indian保留地には時々行った。Indianの町には必ずTrading Post交易所があって、Indian Jewelryは定番である。道端にゴザを広げて手作りのIndian Jewelryを売っているIndianも多く、そういう所で1インチほどのトルコ石の塊を買い自分で金具をつけたこともあった。今ワイフがペンダントに使っている。
トルコ石"Turquoise"はトルコ"Turkey"の産かと思うとさにあらず、ペルシャやシナイ半島で採掘されたものがトルコ商人の手で広まった故の名だそうだ。青が金銀に映えるため古代エジプト以来装飾に使われてきた。同色のLapis Lazuliとともに12月の誕生石でもある。結晶水付きの燐酸水酸銅アルミニュウム CuAl6(PO4)4(OH)8・4H2O である。銅鉱山から副産物として産出するが、水流に溶けた銅、アルミなどが再結晶した二次鉱物だ。今は水に縁遠いArizonaも、水に恵まれた地質学時代もあった訳だ。
Arizona州、隣接のNew Mexico州は銅鉱山が多いからトルコ石には古来恵まれ、New Mexico州のZuni Indianは昔からトルコ石を細工していた。スペイン人から銀細工を習ったメキシコ人が19世紀にNavajo Indianに銀細工を教え、NavajoとZuniの技術交流でトルコ石の銀細工が生まれたと上記Arizona Highwaysに書いてあった。Navajoは元々は石を一切使わず、型抜きした銀板と真っ黒に酸化させた銀板とを2枚重ねにした黒い模様の銀細工で有名だった。Zuniは、トルコ石だけでなくメキシコから入手する真珠貝、珊瑚、オニキスなどを取り混ぜた独特のパタンの銀細工で有名だ。同誌によれば、Arizona辺りの銅鉱山は続々閉山されつつあり、トルコ石が手に入らなくなり、中国湖北省から輸入したり、捨てられていた低品質の石や石粉を染めたり固めたりしているという。
Indian Jewelryの作家が今二分化しているそうだ。Indian保留地を出て都会周辺に移り住み、米国人ペースで作品を供給している作家と、頑なに保留地の奥に引きこもり作品が当たって大量注文を出しても一向に応じることなくIndianの生活ペースで淡々と作品を作り続ける作家とが居るそうだ。ワイフはIndian保留地を旅して「ご先祖様に逢ったみたい。ペースが合う」と言ったから、後者の作家の作品を好むのかも知れない。保留地をのんびり旅してトルコ石細工の品定めをしたいなあ。 以上