8月1-3日には中部大学の社会人向けBusiness Schoolで講義した。自分の授業準備もあるが他の講義を聴くのも勉強になる。逆に他の教授が聴講に来られると快い緊張感があり、それが総長や学部長だったりすると小中学生の頃教育実習に来た学生はこういう気分だったのかと合点がいく。
聴講した授業の一つで、Stanford大のUS-Asia Technology Management Center長のDick Dasher教授が、驚くほど流暢な日本語でSilicon Valleyの紹介をされた。直前の私の授業で「ベンチャビジネスという言葉は法政大清成総長の造語で和製英語、米語ではStart-up Companyという」と言ってあったので注目していたが、スライドではStart-up Companyと書き「今日はこれをベンチャビジネスと言います」と日本語で注釈された。東北大の理事も務められ、日米の起業会社事情に詳しい。幸い参加者に非常に判り易い日米比較論が展開された。ただこの分野は今や私の専門分野でもあり、導入解説以上のレベルで討議したかった点も以下のようにあった。
日米のVC=Venture Capitalとその投資先である起業会社には様々な対照点があるが、その最も根源にある差異は3点だと私は思っている。但し勤務先のVC会社を棚に上げての一般論であることをお断りしておく。
その第1は「米VCは経営者、日VCは株投資家」という点だ。実際米VCのGP=General Partner(個人)には企業幹部からの転進者が多く、典型的な日VCの幹部には証券会社出身者が多い。「典型的」と断ったのは、米VCを手本にする少数の日VCを例外とするためだ。米VCは経営者だから、投資先の社長が不適任だったり会社規模に整合しなくなったら社長を取り替える。社長の持株が少なければモッケの幸いでこそあれ困ることではない。GP自身が臨時に社長業をすることも珍しくない。経営者として投資先を育成するから、分散投資では手間が掛かり過ぎる。少数の投資先にまとめて投資しジックリ育てる。自分が経営できない分野にはまず投資しない。
日VCは株投資家だから、投資先の社長に辞められたら一大事だ。少なくとも上場まで社長ないしその仲間が株の過半数を持っていないと日VCは投資したがらない。日VCが専門分野を持つことは稀で、業種を問わず投資する。取締役を派遣してもVCの利益を守ることに主眼があり、その流れで投資先を支援するが、間違っても投資先企業の経営責任を負うようなことのないように万全の注意を払う。深入りしない以上、複数のVCが相互乗り入れして細かく分散投資しておいた方が安全だ。
なぜ経営者vs株投資家という差異が生まれたか? 一番の理由は「日本には経営者の出物が少ない」ことだ。伝統的日本企業では引退寸前に経営者になり、引退後は転進の機会も意欲も少ない。加えて日本では歴史的に証券会社がVCを設立し、幹部を送り込んで育成してきた経緯がある。
2つ目の根本的差異は、米VCが弁護士事務所などと同じPartnershipの形態であるのに対して、日VCはガッチリした会社組織だということだ。米GPは投資ファンドに私的資金を投入するが、日VCでは会社がGPとなり社員が私的資金を動かすことを固く禁じている。その結果日VCに比して米VCでは、幹部個人の責任が重く、比例して幹部個人の発言権が強い。対して日VCでは投資決定にコンセンサスの要素がより大きい。だから米VCが2週間で投資を決める所を日VCでは2ヶ月掛ける。良くも悪くも、時間を掛けてコンセンサスを形成するという典型的に日本的なプロセスである。従って日VCの投資の方がより安全指向であり、風変わりな起業会社を嫌う。
3つ目は起業会社の社長の行動パタンの差だ。事業が失敗した時に米国では、経営者としてのVCにも責任があるから、社長の私有財産や私生活には一指も触れない。日本では事業が失敗すると社長は相当の私的ダメジを蒙る。融資は勿論出資でもしばしば、社長には個人保証が求められるからだ。おまけに会社が失敗して社員を解雇する辛さは圧倒的に日本の社長に重い。だから日本の社長は安全側にハンドルを切り、結果として日VCの投資先の失敗率は米国より低く、成功時のCapital Gainも低い。
私は日米いずれが優れているという積もりはないが、個人的志向で言えば米国流がより感覚に合い、その点で時々議論することがある。 以上