一昨日6月16日にビーナスラインをワイフと満喫した。元有料道路ビーナスラインは、茅野駅東から八ヶ岳の白樺湖・女神湖に上り、車山を中心とする霧ケ峰の麓を標高1600-1800米で過ぎ、八島湿原をかすめ、和田峠のトンネルの上を渡り、松本と和田を結ぶ扉峠を過ぎ、急登して標高2000米の美ケ原に上って終わる。道は県道経由で北の武石峠に下り松本または和田の里に下る。なぜビーナスなのか知らないが、多分女神湖の連想であろう。茅野の山の博物館にある国宝の土偶「縄文のビーナス」はまだ国宝でも有名でもなかったから。昔は茅野−白樺湖間も車掌バッグを持った係が通行料を徴収していたがいつしか見かけなくなった。料金所を完備した白樺湖以北では昨年まで何千円もの高い通行料を取られていたが、それが「完済につき全部無料開放」となったので、ルンルンと走破した次第。
私のアナログコンピュータによれば、建設に\10**10のオーダの金が掛かったはずで、それを10**4日で償却したとすれば\10**6/日=\10**3/分の償却となる。立派なものだ。独立採算ならそうなる。それに対して既設路線の収入で新路線を建設したり赤字路線を埋めている首都高や道路公団はどんどん値上げして無料化の約束は空文化している。
2週間前に清里の清泉寮や美しの森など標高1300-1500米でレンゲツツジが見事に咲いていたから、レンゲツツジの群生がある霧ケ峰に急いだのだが、標高1700-1800米の群生地ではまだ蕾だった。代わりに小林檎の白い花が満開で美しかった。それで今度こそ咲いているだろうと一昨日霧ケ峰に行って見ると、狙い違わず満開だった。名の通り山には霧が流れていたが、緑の草山のあちこちに真っ赤に燃えたレンゲツツジの群生があった。一番見事な群生は「伊那丸」というドライブインの駐車場の下、西方に伸びた尾根だ。山全体が赤く浮かび上がる。「南大塩財産区 立入禁止」の新しい看板があり監視員が立っていたが、花を観賞する入山には文句を言わなかった。日光キスゲの咲き始めを期待したのだが駐車場上の群生地では全く咲いていなかった。もっと標高の低い旧白樺湖料金所付近の山肌でポツポツと咲いた日光キスゲに道理でカメラマンが集まっていた。
八島湿原の駐車場は満杯だったので通過した。ここに高山植物が咲き揃うのはまだ先の話だ。以降レンゲツツジの数はめっきり少なくなり、緑の山肌が続く。熔岩の急斜面を九十九折れでノロノロ登る観光バスの後について美ヶ原に上った。皆が右折して行く高原美術館は何度か行ったから今回は割愛し、左折して山本小屋のほぼ満車の駐車場にもぐりこんだ。
牛伏山園地に登れば360度の展望だ。残念ながら北アルプスなど遠い山は霞んで見えなかったが、美術館の屋外展示の最上部、辺りの最高峰2034米の王ケ頭のテレビ塔群、霧鐘の「美しの塔」、牛が遊ぶ牧場、上田側の独鈷山などが見晴らせた。美ケ原は百万年前の熔岩で出来ているという。出来立ては多分もっと平坦な盾型火山だったのが周辺が浸蝕されて絶壁に囲まれた台地になったに違いない。「美しの塔」まで歩いて霧鐘を鳴らしてみた。何年か前にはヒモが切れて鳴らない状態だったが、今回は立派なチェインが付いていた。塔は鉄平石の乱れ張りになっている。鉄平石は熔岩が板のように割れやすく固まった安山岩で、この辺りで採れる。表には尾崎喜八という署名の美ヶ原を称える詩があり、反対側には山本俊一氏のレリーフがある。昭和5年に初めて美ヶ原に山本小屋を建て、直向に自然と共生する観光地開発を進めた人だ。今山本小屋を継いでいる四男の峻秀氏のサイン入りの本「美ヶ原賛歌」を買って歴史を学んだ。
乳牛が黙々と草を食む牧場には日本タンポポが綿毛になっていた。一部にレンゲツツジの群生もあるが、ここではまだ蕾だ。八ヶ岳農業大学校の牧場に観光バスで来て平凡な乳牛にカメラを向ける人を「可愛そうな都会人」と思っていたが、ここでは高原の広々とした牧場に群れる乳牛が美しいと思って私も写真を撮った。草むらでさえずっていたヒバリの雛が、烏が近付くとピタリと鳴き止め、烏が居なくなったらまた鳴き始めた。
松本に下り、新たに復元した松本城太鼓門の辺りから仰ぎ見れば、テレビ塔が林立した王ケ頭が一際高く曇り空に聳えていた。 以上