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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2002年 3月 14日
          ベトナム戦争は何だったのか

 初めてのベトナム訪問を終わって、ベトナム戦争は一体何だったのか、最も愚かしい過ちだったのではないか、という思いが強く残った。

 Hanoiでは撃墜した米軍機の残骸を誇らしげに展示した軍事博物館やHo Chi Minhの霊廟と質素な家を見た。「米軍の爆撃の時期には毎日明日の命が分からなかったが、それでも勝利を信じて英語の勉強に励んだ」と元英語教師のガイドが言った。Da Nangでは米軍基地の跡を見たし峠のトーチカにも入ってみた。Hueの宮殿の破壊はここに立てこもったViet Congを攻撃した米軍の仕業だったようだ。Saigonでは100km郊外に構築されたViet Cong基地のトンネル網にもぐった。戦争の記憶が生々しい国だ。

 Ho Chi Minhをリーダとし仏からの独立を目指すViet Minhが1941年に結成され1945年に独立宣言したが、仏は認めず独立戦争が始まった。1954年に仏はDien Bien Phuで大敗し同年のGeneva協定で北緯17度線で南北ベトナムを仮分割して仏は手を引いた。翌年統一選挙のはずが南の大統領Ngo Dinh Diemが拒否したので北は武力統一を決意し、南出身で北で訓練したViet Congを南に送り込み、汚職や仏教軽視などで国民の人気を失いつつあった南政権打倒を狙った。米国は軍事顧問団を増員して南政府を支援した。1963年の南軍クーデタでDiem大統領が暗殺されたのは、同大統領に見切りをつけた米CIAの仕業と信じられている。その後南政府では混迷が続き、僅か35千名のViet Congを400千名の南軍が抑えられなくなった。

 1965年に米議会は全権をJohnson大統領(1963-9)に与え、同年最初の戦闘部隊として海兵隊50千人がDa Nangに上陸し、以降米軍の増強が続き1969年には540千名に達した。1968年にTet攻勢があり、一時期SaigonとHueはViet Congに占領された。米軍の反撃でこれらは奪還されViet Congはその勢力の大半を失ったため、以降は北ベトナム軍が南でも正面に立つようになった。Tet攻勢は軍事的には失敗だったが政治的には大成功で、米国民にベトナム関与のリスクと早期解決の困難を悟らせ、米国に反戦運動が台頭した。このためJohnson大統領は米軍を徐々に撤退させて南軍に引き継いだので、予想通り南軍は敗走を続け、1975年にはSaigonが陥落して南に軍政が敷かれた後、1976年に南北統一がなされ、Saigon市は周辺も含めてHo Chi Minh市と改称された。この戦争で米軍の死者は58千名、南軍は200千名、北軍とViet Congが900千名、南北の一般市民が1百万名と言われる。ベトナムが払った代償も巨大だが、米国の経済や社会の安定に及ぼした悪影響も計り知れない。

 しかしベトナム通貨のDongに対して、$1 = VND 15,000 という極端な為替レートが一つの理由ではあるが、米人に対する敵意は今や全く見られず、一部の人なのだろうが逆に卑しいほどに米人を客にしたい物売りや靴磨きや人力車があった。ドイモイ以来経済は資本主義以外の何物でもない。農業公社が失敗し、農地所有権は国とするものの「相続権つき土地使用権」を個人に配分して以来農業生産は飛躍的に向上しているという。ベトナムがこういう国造りをするなら米国は決してベトナムに軍を送らなかっただろうし、ベトナムも犠牲を払うことなく逆に支援を得て国造りができたはずだ。双方とも大きな苦しみを経てしかし結果論的には何も得るものが無かったのではないか。米国とベトナムの当時の戦争当事者が一堂に会して戦争を振り返ったテレビ番組を見た覚えがあるが、McNamara氏が「ベトナムの望みが主権で、ソ連流の共産主義ではないことが理解できていたら、戦争はしなかった。我々の理解不足も責められるべきだが、ベトナム側の努力不足もあった」と発言したのを鮮明に覚えている。

 なぜ南軍は負けたのか、なぜ米軍は勝てなかったのかと聞いた。父親が南軍だったというガイドは、米軍は侵略者と見なされ、南軍はそれに加担して国民の味方ではないと思われたからだと言った。かってSaigon駐在だった船上の国際問題専門の米人は、「支援していた南政府関係者が正直でも誠実でもなかった点に問題があった」と言った。

 ベトナム戦争は、米国民の自信過剰に支えられたJohnson大統領とスタフの誤判断による介入本格化が悲劇の原因と考える人が今では多い。以上