日本語で生活しているから、話題の「白人至上主義」を英語で何と言うか知らなかった。日本語Wikiで引いて英語に切り替え、White Supremacy, -cism, -cistと言うことを知った。我が家の人工知能Amazon Echoに「何?」と尋ねてみたら、英語Wikiの冒頭の数行で答えた。即ち「白人は他より優れているから、他を支配すべきであるという思想」だと。
国民学校と呼んだ小学校で私は習った。「大和民族は他より優れているのだから、しっかり勉強し体を鍛え、他民族を指導できる日本人になれ。」 周辺国の民族を蔑称で呼び、米英鬼畜と教わり、German民族だけは立派だと習った。ずっと後にAnglo-Saxon人もGerman民族だと知った。
18世紀の産業革命で白人が優位に立った。いち早く近代化を進めた日本がアジアでは強くなった。それ以前は中国が、その前は印度が進んでいた。白人優位は歴史の一時的な偶然であり、決して必然ではないのに。
米国で人種差別が合法だった末期を私は1962-3年に垣間見た。留学中の米北部Illinois大では、日本人は白人に一歩譲る「準白人待遇」だったが、黒人は気の毒だった。もし人種差別が無かったら私は教授の推奨通り博士課程に進み米国に居付いていた。Texas大Footballチームは、北部の大学の黒人選手と闘うことを拒否して不戦敗を重ねていた。「風と共に去りぬ」の火の海の場面で有名な南軍最後の地Georgia州Atlantaでは、赤地の対角線上に13の星を並べた南軍旗が依然翻っていた。Mississippi州旗には今でもこの軍旗が一角を占める。バスの後部が黒人席だった。公園やレストランに白人専用の看板があった。白人と黒人がデートすると逮捕されたとか。どこまで「準白人」に許されるのか緊張しながら観光した。
Jim Crow Lawsと呼ばれる法律群があった。Jim Crowは黒人の蔑称だ。南北戦争(1861-5)に負け奴隷制度を廃止せざるを得なかった南部諸州が、依然黒人を差別するために急遽制定した州法群だ。Ku Klux Klanの成立も1865年だ。これら州法の廃止は、Kennedy大統領の治世(1961-3)と、1964-5年の人権・投票の連邦法整備による。移民法改正で白人以外の移民を認めたのが1965年、人種間結婚の禁止が解かれたのが1967年だった。
人種差別は心の根底にある。まして半世紀前まで米国では合法だった。差別は日本人の心にもある。先年縁談を頼まれて紹介した男性の実家が肉屋と聞いて断って来た。米国ではヒスパニック中心に非白人の移民が増え、今世紀半ばには白人が半数を切るという危機感がある。格差社会に乗り遅れた白人の不満が渦巻く。そこに白人至上主義者が現れTrump大統領候補を支持した。Trump大統領の本心の問題もあるが、選挙戦の経緯からも今更人種差別は駄目とは明言できないのだろう。だから今まで理性で心底に押し込めていた心情を「アッ、言っていいんだ」と表面化させた。
巻き込まれた南軍の将軍達の銅像もいい迷惑だ。1860年11月に奴隷制の「拡大に反対」したLincoln大統領が当選した。私有財産放棄になる奴隷制反対までは踏み込めなかった。元々米合衆国が北部主導で、中央集権・工業経済的に運営されたことに不満だった南部は警戒を強め、翌月にはSC=South Carolina州が合衆国離脱を宣言した。1861年2月には南部7州で米連合国Confederate States of Americaを建国した。後に11州に増え、2州の非公式代表が会議に出席したので、計13州だと連合国は主張した。
1861年4月に南軍はSCの海岸の合衆国Fort Sumsterを占領したのに対して、Lincoln大統領はその奪回を呼び掛けて南北戦争が勃発した。大統領は奴隷制度に反対だったLee将軍に陸軍司令官になるよう要請したが、将軍はこれを蹴って、故郷Virginiaに走って劣勢の南軍の司令官になり、善戦した名将と称えられた。Lincoln大統領は、北軍優勢を確認してから、1862-3年に初めて奴隷解放宣言を発布し、国際社会に旗を高く掲げた。
南軍の将軍達は、必ずしも白人至上主義のためにではなく、やむなく出身州のために戦った故郷の英雄だ。しかし白人至上主義者が南軍を持ち上げて象徴にしたので、銅像打ち壊し運動に発展してしまった。南軍時代の差別対象は黒人だったが、今はヒスパニックやアジア人の方が多い。
白人至上主義者の気持ちは分かるが、それを言っちゃおしまいよ。以上