Katarina Witt(ビット)は1984年Sarajevo、1988年Calgaryの冬季五輪大会の女子フィギュアスケートで金メダルを取った東独代表だ。Calgaryでは、先に高得点を得た米国代表の黒人選手に次いで「これが本当の芸術よ」と芸術点の高い演技を見せて見事優勝した彼女のスケートを覚えている人も多いだろう。そうでない人も下記URLで思い出すはずだ。彼女が米国と独国で、スケートに限らず活発な活躍をしていることを知った。
yahoo.co.jpでもyahoo.comでも、最初の頁でNewsをクリックすると、その日の世界のニュースがカテゴリー別に見られるので、私は商売上よくTechnologyを中心に見る。News頁の下の方に「Slideshows」「写真ニュース」というコーナがあり、こちらもなかなか面白い。英文の方は更にEntertainment, Technology, Science, Businessなどの分類で関係写真ニュースを見ることも出来るし、Photo Highlight Slideshowを開けると全分類から主な写真が数十枚選んであって全貌の把握に便利だ。良い写真が多いから写真を一つの趣味にする私には参考になるし、なぜかFashion Modelなど「絵になる女性」の写真が多いのも嬉しいことだ。
最近その中に、Bosnia-Herzegovina(先日ウチの会社に経済再建の使節団が研修に来た)の首都となったSarajevo市が、Yugoslaviaの首都だった冬季五輪大会の20周年記念式典を、かってのスケート競技場Zetra Hallで2月19日に行ったというニュースがあった。五輪大会の頃は希望の都市と見えたSarajevo市がその後の内戦で荒廃し、市街を行くにも丘からの狙撃を避けて走る有様だったことはテレビでも度々報道され、我々の胸を痛めた。多くの人が犠牲になりZetra Hallも灰燼に帰したが、平和が戻ってHallは国際支援で再建され、欧州からの観光客の回復を期待しての式典だったそうだ。20年前の男子金メダリストBrian Boitano(米)と共に招かれ、黒い服装で現れたWittは涙ながらに挨拶をしたと報じられた。ふと見るとその写真と記事の後にリンクがあり、叩いてみると、
www.katarina-witt.com
が彼女の妖艶な写真と共に開き、彼女の近況が分かった。彼女が1965年に生まれ育ったStaakenは、西Berlinと東独の間の壁で二つに分断された元々はBerlinの郊外都市だった。1989年のBerlinの壁崩壊以前の東独出身というハンディをものともせず多彩な活動をしていることに彼女の才能と努力を感じ取った。何でも一生懸命に情熱をもって完璧にやる人らしい。そうだろう、そうでもないといくら才能があっても連続金メダルは達成できない。スケートで連続金メダルは1930年代以来だそうだ。
1988年の金メダルの後彼女はBrian Boitanoと共にプロに転向し、Witt and Boitano Skating Show は米国で大成功した。その後共演者は変わっても、ショーを今の年齢で続けていることにも驚く。URLには近年のビデオまである。1990年の米テレビ番組Carmen on Iceに主演してEmmy賞を得て以来、氷があっても無くても色々な映画やテレビ番組に出演している。スポーツ解説者としての活躍もある。1991年にはVogue誌が特集号を組み、People誌は1991-92年の2度にわたって「世界の50人の美女」に連ねた。1999年にはMost Favorite Female Athlete in the United States(男性はMichael Jordan)と、Eiskunstlauferin des Jahrhunderts, Deutschland の称号を得ている。
驚いたことに1998年12月のPlayboyに取り上げられている。Webで見ると表紙をセミヌード写真が占め、Katarina Wittと題字より大きな活字が踊る。運動選手が同誌に載ったのは初めてとかで、おかげでこの12月号は空前の売れ行きだったそうだ。何を着たのか着なかったのか? 某写真家によると、美女は或る年齢で自分のヌードを記録しておきたい誘惑に駆られるものだそうだ。独ではダイエットの本を出し、スポーツ企画会社を経営し、化粧品シリーズを売り出しているので事業家でもあるとWeb頁は主張する。本人がどれだけ実際に関与しているのか怪しむことも可能だが、完璧主義者らしいから真面目に取り組んでいる可能性も高い。商売上手らしく、上記URLには「サインした写真を送ります」という頁もある。
彼女ほどの美人が聡明で努力家なら、何でも出来てしまうなあ。 以上