屋久杉を見てきた。最大最古で有名な縄文杉を見るには、朝寝が出来なかった日は体調とご機嫌が悪いワイフを4amに叩き起こし、登山道路をタクシーで登り、5-6amからトイレが無い道を往復8-10時間歩かねばならない。残念ながらこれは無理筋と諦め、他の幾つかの屋久杉の巨樹を見るJTBのグループ旅行を選んだ。立小便防止で環境省を口説き、縄文杉への登山道に1回3千円の有料トイレを設置すれば皆に喜ばれて儲かるぞ!!
鹿児島空港から屋久島まで飛行機で30分の所を、バスで小1時間掛けて鹿児島南港に出て、水中翼船で2時間掛けて島に渡った。この行程が不満だったが、飛行機はBombardierだと知って船で良かったと思った。
屋久島は全島ほとんど花崗岩だ。Philippine Plateが押し寄せた圧力で、比重の軽い花崗岩が水成岩の層を押し破って円形に地表に押し出されたため、周囲132kmの沿岸だけが水成岩であとは全て花崗岩だ。それが浸食を受けて桂林を連想させる急峻な多数の独立峰のような山容となり、僅かな腐葉土の上に深い森が茂っている。花崗岩を流れ落ちる沢や滝の水は蒸留水に近く魚は居ない。1936mの宮之浦岳を筆頭に、九州の高山7位までは屋久島にある。沿岸はガジュマルが茂る沖縄に近い亜熱帯林だが、その上は照葉樹林が徐々に針葉樹林に変わり、高山は札幌に近い気候で古来杉の自然林が茂る。冬は雪に閉ざされる寒冷地のため年輪が密な杉は秋田杉と対比される。樹齢千年以上を「屋久杉」、千年未満はたとえ直径2m以上の巨樹であっても「小杉」、中腹以下の人工林の杉は「地杉」と呼ぶ。
屋久島は暖流黒潮に洗われる位置にある。黒潮から立ち昇る水蒸気が高山にぶつかって雨や雪となるため、屋久島では沿岸でも年間降水量2-3m、高山では8-10mと極めて高い。また黒潮で強められた台風の通路になりやすい。屋久島では1ヶ月に35日雨が降ると言われるそうだ。この多雨が杉を長寿化させ、森の地面に苔を育む。緑に苔むした花崗岩の間を水が流れる沢が美しい。グループ旅行の範囲を超えますとか言われて行けなかったが、アニメのモデルになった「もののけ姫の森」が山奥にある。
屋久杉は高くなると台風で折られ、二十数mから三十数mに止まり、幹だけが太くなったずんぐりした姿だ。台風などで内部にヒビが入るとそこがコブになる。山の木を傷付けると祟りがあるという迷信に守られていたが、地元出身の高僧泊如竹(1570-1655)が島津藩の意向を受けて迷信を解き、平木(ひらき)と呼ばれた屋根葺き用の板を生産し、2310枚を米1俵の換算で年貢として納めるようになった。杉を伐採してその場で定尺の輪切りにし、ナタの一種で割って平木にして担ぎ下ろした。コブがあるなど木目が整っていない杉はナタでは板にならないため伐採を免れ、今日の観光資源の巨樹として残った。地表に近い2-3mは木目が悪く板にならないので根とともに残され「土埋木(どまいぼく)」と呼ばれている。また伐採した後に木目が悪いことが判ると「倒木」として放置されている。これらが1993年世界遺産指定までは屋久杉工芸の材料になっていた。
工芸品となると、柾目も良いがむしろナタでスッパリ割れない複雑な木目が珍重される。一番高価なのは、コブの部分に典型的に見られる「泡木(あわもく)」で、年輪がなく泡が集まったようなボツボツと黒斑点のある木肌だ。次いで「虎木」だ。元々黒ずんでいる屋久杉の木肌に、なぜか黄色に輝く不定形のパタンが浮かび上がったものだ。同じ大きさの屋久杉細工でも、これらの特徴が一部にでも見られると何倍かの値段になる。
縄文杉は抜群に大きく幹周りが16.4mもあるそうだ。某学者が樹齢7千2百年と推定したため、世界最古の樹木として注目されたが、実は確たる根拠は無いようだ。固有名詞のある屋久杉が40本ほどあるうち8本を見た。また幹周り8m以上の23本のうち3本を見た。樹齢3千年で日本の巨樹巨木百選の一つ「弥生杉」、同じく3千年の「紀元杉」、1千8百年の「仏陀杉」は、いずれも迫力があり勇気を貰った。紀元杉は小型バスが入れる道路際だが、他の2本にはバスから往復小1時間の山道を上下して到達した。
表面的な観光だったが、それでも屋久島の魅力の一端に触れた。 以上