ワイフは行ってしまった。英文豪の足跡を訪ねる旅を企画した親友に「あなたはご主人を置いて旅行に出られないんでしょ」と言われて、つい見栄から「あら、そんなことないわよ」と言ってしまったそうだ。それを聞いた私がまた見栄から「Why not ?」と言ってしまい、見栄の二乗でワイフはWordsworthとEmily Bronteの本を抱えて今日行ってしまった。これから搭乗口に入ると電話を呉れた時から、私の独身生活が始まった。
台風が来ていて飛行機が飛ぶかどうか心配だったが、晴れ女の威力にはすざましいものがあり陽が出てきた。それを見て伊那は辰野町松尾峡の蛍を思った。この時期雨上がりの蒸し暑い日には、雨で差し控えた蛍が一斉に乱舞する。今日がその日だと確信しWebで調べると既に毎晩数千匹出ている。辰野町の蛍は年々有名になり観光バスや専用列車で観光客がやってくる。家に独りで居てもつまらないから辰野に行こうと思った訳だ。しかも日暮れ前には奥蓼科温泉で一番お気に入りの「保科館」で露天風呂を満喫しようと考えた。諏訪ICから麦草峠に向かう国道299号線でひたすら八ヶ岳を登り、雲に入ったところで到着した。奥蓼科には特徴ある温泉宿が幾つかあるが、保科館は道さえ知っていれば車で入りやすく、茶褐色の硫酸ナトリウム温泉とその露天風呂が気に入っている。
岩を積んだ5坪ほどの露天風呂は斜面の庭園の中にあり、熱い温泉が流れ込む。溢れた湯が「水着着用」の下の水泳プールに流れこむ。ここは多分男女共用で女性コーナと階段でつながっているが、この茶褐色のプールで女性を見かける光栄に浴したことはまだない。山つつじの季節だ。オレンジ色の花が多数湯煙に揺れている。余った温泉を捨てている小さな流れの他に、向こうには岩肌を洗う滝があり、その滝音が露天風呂に落ちる温泉の水音と競う。滝の周辺が茶褐色になっていないからあれは真水に違いない。プールの周辺は白樺の若木だ。傷つける人も居ない白い木肌が湯煙に濡れて美しい。その向こうに谷川があり、その先のトウヒの山に今日は雲が掛かっていて深山の趣がある。空を小鳥が盛んに飛びまわる。よく見ると燕だ。どうも目の前の山の茂みから出入りしているようだ。軒下に巣を作る燕ばかりではないことが判る。水音だけが聞こえる静かな自然の中に身を沈めていると、入湯料800円とは釣り合わない贅沢をしていることに気付く。長湯で命の洗濯をし、誰も居ない玄関を出た。
岡谷ICから伊那に向かう国道14号線は、諏訪湖から発する天竜川に沿って下る。岡谷市を過ぎ辰野町に入って間もなくの駐車場には6時半に入った。私の後は数台入って満車となった。「残照が消える8時位が見頃」と聞いて車内で読書するうちに、驚いたことに雨が降ったり止んだりし、遂に豪雨になってしまった。晴れ女が去るとこれだ。
雨の中を蛍公園に行く。何時から始めたのか予想外にも300円の入場券自動販売機がありモギリのおばさんが居た。舗装の遊歩道と柵が立派になっていて、田舎道の雰囲気は失われたが雨でも歩き易くなった。柵の中には草むらと水路があり、草むらで蛍がほぼ10cm間隔で光っている。それに傘や合羽の観光客が黙ってじっと見入る。ホテルの浴衣に団扇を持った若い女性の一群には雨が気の毒だ。蛍を日頃あまり見たことがない人が多いのか、感動があたりを支配する。幸い私はここには何度も来た。立ち木に一杯とまった蛍でクリスマスツリーのように木全体が一斉に点滅するのも見た。草むらが一面に光り流水路の水面がキラキラ輝くのも見た。今日は雨のせいか蛍の数は少ないが、それもありとしよう。
暗い伊那街道を帰りながらふと思った。日本では古来蛍は詩歌の格好の材料であり情緒の象徴だ。文学者でなくても蛍の乱舞を見れば、隣に居るか遠くに居るかは別として恋しい人を思うだろう。西洋文学で蛍をそのように扱ったのを私は浅学にして知らない。西洋では蛍も甲虫やカナブンの一種に過ぎないのか。目白の椿山荘に蛍が復活したと聞いた。田舎で捕獲して放していたのを自然破壊の商業主義と非難され、最近まで豆電球を草むらに仕掛けていた。我が年代には蛍は幼児の懐かしい思い出だ。一時激減していたのがまた少しずつ復活しつつあるのは嬉しいことだ。 以上