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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2001年11月24日

             湯布院の朝霧

 湯布院ではこの時期毎朝朝霧が立ち込める、そうだ。宿の仲居さんが昨夜自信をもって朝霧を予報した。考えてみれば盆地の夜は冷え込む。それに水と温泉の豊富な谷だ。霧が発生しない訳が無い。霧は秋の季語、靄は春の季語だが、湯布院の春の朝霧は何と言うのだろうか。

 夜明けを待ちかねて湯布院南端の小高い斜面の宿から独り抜け出せば、仲居さんの予報通り乳白色の世界があった。盆地の下の方は白濁が一層濃く、アリスの不思議な国が広がるように思えて底を極めたくなり、急坂を下った。温泉パイプがゴトゴト音を立て、継ぎ目から大気に湯気を供給している。観光業従業員用と見えるアパートはまだ眠っている。

 霧の中から杉の森が灰色に浮かび上がってきて、宇奈岐日女神社のお社に達した。もう境内を掃除する氏子の姿があり、録音テープの祝詞が流れている。緋鯉が泳ぐ境内の池から盛んに霧が立ち上る。狛犬を近景に霧に霞むお社を中景に杉木立を遠景に置けば、墨絵の一景となる。境内に杉の巨木の切株だけが数個保存されていて何かと思ったが、石碑によれば平成3年の台風で百数十本の杉が倒れた中の直径2mほどの巨木数本を惜しんで、切株として保存しているのだという。

 お社を後にし、流れに沿って北東に向かえば、観光宿泊施設が点在する他は素朴な田園風景が広がる。稲の切株が整然と並ぶ田に刈り取った稲を積み上げた稲叢すらも霧の中では絵になる。突然霧が薄れて、朝日に光る由布岳1584mが行く手上方に見え、道は一直線に山に向かっていることを知った。道を横切る小川の両岸が遊歩道になっていて、長い髪を左右に波打たせて走る女性と出会った。この遊歩道を北に向かうと、そこには予期しなかった湯布院があった。生垣に囲まれた広い敷地の農家の村落である。舗装のない土の道が懐かしい。萱葺き屋根に湯煙が上がる。椿が紅い。水車で使った木製の歯車や石臼が無造作に置かれている。こういう豊かな農村が湯布院の原風景だったのかも知れない。村落の続きのように、亀の井別荘という名の旅館の敷地に入った。農家との唯一の違いは、楓があちこちに植えられていて、その紅葉が霧にけぶる様であった。木製の小橋がかかる小川を渡り、その水源である金鱗湖が近いことを知った。

 金鱗湖を巡る遊歩道には数台のカメラの三脚が並んでいた。今はまだ一面の霧が濃くて写真にならないが、霧が晴れる過程では、湖底から温泉が湧くこの湖の水面から立ち上る霧が芸術を描くのであろう。そういう写真を何かで見たことがある。カメラに覆いを掛けて辛抱強くシャッターチャンスを待っている。俺はこれが出来ないんだよな。岸辺でアヒルが数羽まだ頭を背に載せて眠っている。一軒のレストランがもう開いていた。霧の湖を眺めながらの朝食も悪くないはずだが、客はまばらだった。北岸に「下ん湯」がある。外来者200円の札が掛かった萱葺き屋根の小さな小屋の公衆浴場だ。10時に開くと書いてあるのでまだ閉まっているのかと思ったら、重い引き戸を開けて一人出てきた。入浴する気は無いが中がどうなっているか知りたくて、私も入ってみた。中から見ると意外に広い空間に浴槽が段違いに二つあって、一つは霧だか湯気だかが流れる庭に開いた露天風呂になっていた。ニ三人の頭が見える。

 宿の朝食の時間に戻るためには、ほぼ往路と同じ道を帰らないと間に合わないが、同じ道は嫌だから同方向ながら敢えて別の道を選び、再び田園風景の中を戻る。ここにもカメラの三脚を構えた人が居た。こちらは霧の切れ目から朝日の由布岳を撮ろうとしているようだ。それも良いが近景を入れないとただのボケた写真にならないかなあ。減反はこんな農村でも見られて、稲の切株の代わりにセイタカアワダチソウの黄色い花が白い霜を被っていた。霧はこんな風景まで芸術にしてしまう。道端のケイトウの紅い花のテッペンにも白い霜が下りていた。

 宿の朝食の食堂の一方は全面ガラスだ。まだ盆地は霧の中だが小高い宿からは由布岳が霧の海越しに正面に美しく見える。遠くに九州自動車道の橋梁が見える。そうか、霧を避けてあんなに高い所を通るように設計したのか。朝日が強まると由布岳はますます黄金色に輝いた。    以上