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− ドイツ・スイス・オーストリア −
その1
1997.7.24〜8.15 ドイツ・スイス・オーストリアを旅してきました。
今時海外旅行はもう珍しくないけれど、私
たち2人での
初めての海外旅行。
夫婦2人の野次喜多道中
記の始まりです
。
オーストリアのザルツブルグで
1998年5月16日
1999年1月10日追加
1997.7.24
(木)
成田→フランクフルトFrankfurt am Main→マインツMainz
全日空NH209便でフランクフルト空港に午後4時半頃到着。 フランクフルト空港第2ターミナルは閑散としていた。
パッケージ・ツアーのお客さんたちはサーッといなくなってしまい、取り残された私たちは、どちらへいけばいいのかわからなくてちょっとあせった。空港のターミナルにこんなに人がいないなんて驚きだった。やっと人を見つけて、第1ターミナルへの行き方を聞いた。
「スカイライン」なる新交通システムで
第1ターミナルに移動し、出口を抜けて、国鉄の駅からマインツのホテルに向かう。
入国手続きは呆気ないほど簡単だった。こう聞かれたらこう答えて、といろいろ準備をしていたのだが、パスポートを見せるのみで、あとはなーんにもいらなかった。思いっきりにっこりして入国審査官にダンケシェーン。さあ、いよいよドイツだ!
電車に乗る前にユーレイルパスのバリデイトvalidateをしなくてはとインフォメーションで尋ねたら、向こうのオフィスへ行けという。 オフィスでバリデイトしてもらった。
こう書くと言葉に不自由しなかったように思うかもしれないが、実際はドイツ語も英語もひどいものだ。 プリーズ・バリデイト と ダンケ・シェーンDanke schoen! と、あとは身振りと手振りで何とか通じさせた。
バリデイトの後、同じインフォメーションで今度はマインツへはどう行ったら良いか尋ねた。 イッヒ・メヒテ・ゲーエン・ナッハ・マインツ Ich moechte gehen nach Mainz. 語順が間違っている!
言われたホームへ行ったが、驚いたことに改札も無しにいきなりプラットホーム
。電車に乗ったら、当たり前だけど右も左もドイツ人(らしき人)。海外旅行に慣れていないものだから、何だかすごく興奮している。この日はとにかく駅前のホテルへ。ここと最終日のフランクフルトのホテルだけは日本で予約済。
CENTRAL HOTEL EDEN泊
1997.7.25
(金) マインツMainz→フランクフルトFrankfurt am Main→ベルリンBerlin
今日はライン川Rheinを下るつもりだったが、朝から小雨模様。大聖堂Domに行き、その前の朝市を見た。日本ではみかけないいろいろなベリー類が目をひく。買い物カゴ持参で来ている人が多いのにも感心した。その後ライン河のほとりへ。ドイツ西部は当分天気が悪そう。先にスイスへとも考えたがスイスも天気悪そうだったので、急遽ベルリンへ。フランクフルトから乗った新幹線ICEはとっても快適だった。ベルリンまで5時間足らず。
このICEが翌年大事故を起こしたのをニュースで見たときは本当にびっくりした。しかも事故のあった場所が後日(8月1日)スイスで出会ったドイツ人夫婦の自宅の近くとあって余計に身近なこととして受け止めた。
ガイドブックによれば、ベルリンツォーBerlin Zoo駅はスリが多いとのことなので、貴重品を入れたウエイストポーチの上からコートを着て、ドキドキしながら足早に駅構内を通り抜けた。駅近くのカイザー・ヴィルヘルム記念教会の廃虚は、言わばドイツの原爆ドーム。同じ敗戦国として、学ぶべき点の多いドイツだが、私たちも今度の旅で何かを得ることができたらと思う。 少し歩いてオイローパセンターEuropa Centerのインフォメーションの紹介でホテル・カサンドラに泊まることに決めた。日本語のベルリン市街地図を買ってホテルへ。ホテルの目の前で迷っていたら1人のおじさんが親切に教えてくれた。このホテルはビルの2つのフロアを借りて、ホテルとして商売を始めてまだ一週間ほど、とのこと。建物の入り口、フロアの入り口、そして部屋の鍵と3つの鍵を渡され、案内された部屋はなるほど内装を新しくしたばかり。2人2泊でDM220。約1万4千円。安い! 夕食はRestaurant KOPENHAGEN。旅行中利用した中でこのレストランが一番高級だった。しかしメニューがわからなくて疲れた。その相手をしたウェイターはもっと疲れていたみたい。
Hotel/Pension Kassandra泊(110DM)
1997.7.26(土) ベルリンBerlin→ザクセンハウゼンSachsenhausen→ベルリンBerlin
ホテル・カサンドラは主人夫婦二人だけで全てを切り回している。朝食は8時半にと頼んだが、このホテルとしてはかなり早い時間であったらしい。でも、主人も、英語を話さない奥さんも、とてもあたたかくもてなしてくれて、楽しい朝食だった。Tageskarteを買って地下鉄に乗る。自動販売機が上手く使えず困っていたら、すぐ前に有人の券売所があった。そこで切符を買った。ついでに使い方も教えてもらった。地下鉄、郊外電車といろいろ乗り換えたが、驚いたことに改札はなし、また検札も1回もなし、自転車も自由に乗ってくるし…。ドイツの公共交通機関はとても使い勝手がよさそうだ。これならやたらと自家用車を使う必要はない。
ザクセンハウゼンは収容所の跡が見学コースになっていて多くの人が訪れていた。親子連れや、子供や若い人たちのグループも多い。このように、若い世代の人たちが自国の負の歴史をきちんと学べる場所があるなんて、ドイツはやはり偉い。ガス室跡の前に立つと、ゾーッとして鳥肌が立った。
近くの店で昼食をとったが、後から来たドイツ人の子供の礼儀正しいこと。そして蝿の多いこと。でも誰も気にしていない。
この後チェックポイント・チャーリー博物館 MUSEUM Haus am Checkpoint Charlie見学。ベルリンの壁にまつわる悲劇の歴史のほかに非暴力の戦いの歴史についての展示もある。英語の説明もあったが、読むのは遅いし、量は膨大だし、一日中いても読み切れるものではない。未消化のまま諦めて、次はベルリンの壁を探しに。探して、探して、…。ベルリンは新首都建設中で、日々変化しているらしい。ガイドブックに載っていた、壁の残っているという場所に行ってみたのだが、どこにもそれらしきものはない。そこで見たものは、壊されつつある旧東ベルリン の街と、新しく敷かれつつある市電の線路だった。仕方なく、壁公園Mauerparkで壁を見ることにした。昨日買った市街地図が役に立って、やっと壁公園にたどりつき、そこで壁とご対面したが、あちこち歩いて疲れた!
ガイドブック「地球の歩き方」には、「(地下鉄)U2 EberswalderStrasse下車。Eberswalder Strasseの入口から階段を上るとBernauer Strasseへ続く壁がある」とあるが、この表現は紛らわしい。Eberswalder Strasse駅から西に向かう道路は昨日の市街地図ではずっとEberswalder Strasseとなっているが、実際には最初の500mほどは別の名前で、500mほど進んだところで通りの名前がEberswalder Strasse(西ベルリン側の名称?)に変わる。その変わり目にマウアーパークの案内板があり、そこから公園内の階段を上ると「壁」のところに行ける。 Bernauer StrasseはEberswalder Strasseのさらに西に続く通りで、壁はそちらには通じていない。或いは以前はそちらまで延びていたのかもしれないが。なお、案内板には特に「ベルリンの壁」についての解説はなかった(ようだ)。
昨晩で肩の張るレストランはいささか懲りて、今日の夕食は料理を見て選べるセルフサービスの店にした。日本じゃあ夏はどんなお店もガンガン冷房を効かせているが、ここではたいてい歩道にテーブルが沢山出してあって、みんな風に当たりながら、外で食事をする。日本ほど暑くはないから、この方が気持ちよいのだろう。料理を指で指して、どぎまぎしながらブロークンな英語や片言のドイツ語で注文。金髪を後ろで束ねたハンサムでかっこいい若者が料理をとってくれる。若い人たちはみんな英語が上手だ。学生アルバイトかな。日本のマクドナルドでバイトをしているはずの我が息子のことを思い出す。
Potsdamer Platz駅のあたりでポーズ
Sachsenhausen収容所跡の説明板
Haus am Checkpoint Charlieの前で
ベルリンの壁公園Mauerparkの壁
Hotel/Pension Kassandra泊(110DM)
1997.7.27(日) ベルリンBerlin→ポツダム→ベルリン→チューリッヒZuerich
ポツダム駅からサンスーシー公園Park Sanssouciまで歩く。ポツダムはプロイセンのフリードリヒ大王が18世に建てた宮殿のある、美しい町だ。勿論私たちも宮殿を見に行った。広大な敷地全体が美しい公園で、その中には大小の、様々な趣向を凝らした宮殿がある。真夏のよく晴れた日なのだが、木々を渡る風は涼しく、庭園にはバラが咲き乱れて、昔の王様の優雅な生活が偲ばれる。だが、現在は我々のような「極東」から来た庶民も入れる観光と憩いの場所だ。夏の観光シーズンの日曜日なので、なかなかの人出だ。見学の前にガイドブックをよく読んでおかなかったお馬鹿な私たちは、ここで一番の目玉であるサンスーシ宮殿内部を、結局見逃してしまった。サンスーシ宮殿は、人数制限をしたガイドツアーによる見学となっていて、混む時は早めにチケットを買っておかないと、その日の分が売り切れてしまうのである。そうとも知らないわたしたちは他の宮殿から先にのんびりと見学していたので、サンスーシ宮殿に戻った時にはもう夕方で、チケットはとっくに売り切れていたというわけだ。
しかし、負け惜しみで言うわけではないが、他の宮殿も十分素晴らしかった。面白かったのは、宮殿の中を見学するとき用のスリッパだ。日本なら靴を脱いでスリッパに履き替えるところだが、ここでは靴の上から大きなスリッパを履くのである。西洋人にとっては、靴を脱ぐのは服を脱ぐようなものだというのを、どこかで聞いたことがある。まさかね、とは思うけれど、やっぱり日本人のように気軽に靴を脱ぐ気にはなれないのだろう。
残念だったのは、説明が皆ドイツ語なので理解できなかったこと。この後訪ねたいろんな場所でも思ったことだけれど、意外と英語のガイドがついたり、英語の説明が併記されている場所は少ない。極く有名な観光地以外はたいていドイツ語のみ。考えてみれば、日本だって日本語のみの場所は多い。ここはドイツなのだから、当り前のことなのかもしれない。
ポツダム駅に戻ると何やら不穏な気配。警察官がたくさん出て厳重な警備。向こう側のホームでは、20人くらいの男達の一団が大きな声で、何やら歌を歌っている。そのために、電車が定刻を過ぎても発車できないでいるらしい。どうやらネオナチ? 中近東系らしき顔立ちの男性が、おまわりさんに何か訴えている様子。何が起こっているのかとても知りたかったけれど、言葉の問題もあるし、恐ろしげで、聞く勇気が出なかった。そのうちに騒ぎは収まり、私たちはベルリンへ戻った。ガイドブックに紹介されているセルフサービスのチャイニーズレストランで、かなり辛めのカレー味のやきそばを食べた後、再びツォー駅に行き、そこから夜行でスイスへ!
[ドイツ・スイス・オーストリア(その2)へ行く]
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