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− ドイツ・スイス・オーストリア −
その5
今回の旅で感じたいろいろなこと。
日本に帰ってからの出来事など。
オーストリアのザルツブルグで
1998年6月16日 まだまだ工事中
今回の旅で感じたこと・思ったこと
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日本人の思い描く欧米や欧米人のイメージが大変偏っているということ。アメリカやアメリカ人のイメージを欧米全体のイメージと捉えがちなことだ。また、日本語が特殊な言語というとき、英語という特殊な言語についての知識を基準にしているという可笑しさである。
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欧米ではチップが常識という嘘
利用したホテルが安いところばかりで、ポーターに1人も出会わなかったこともあるが、どうもそれだけではないようである。オーストリアで出会った日本人夫婦、海外経験豊富な教授も言っていたから間違いないと思う。
教授いわく「ヨーロッパではチップはいらない。勿論、チップをやれば喜ぶ。でも、チップをやらなかったからといって不親切にされたり、不当な扱いをされたりということはない。もし、そんなことをするようなら、それはチップをやらなかった方の責任ではなく、不当な扱いをする方に問題がある。本当にいる場合は、例えばトイレなどには、ちゃんと料金が表示してある。」
私たちが道に迷っていたような場合など、とおりがけの人が良く助けてくれた。勿論無償の行為である。私たちは街の少年にも声をかけられ助けられたことがある。私たちだけではない。年寄りや障害者、その他いろいろな人たちを通りすがりのおじさんおばさん、若者たちが当り前のこととして助ける姿をあちこちで見ることが出来た。
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イタリア人が怠け者という嘘
ヨーロッパの人たちは働き者である。特にドイツやスイスに働きに来ているイタリア人は働き者である。ただ、働く時は実に良く働くが、そうでない時はとてもゆったりとした時を楽しんでいるように見受けた。そのけじめが実にはっきりしていて気持ちが良い。
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住所は狭い地域の地名から先、はヨーロッパの常識ではない
最近知ったことだけれど、手紙の宛名書きなどは、もともとドイツでは日本のように大きい地名から小さい地名の順に書いていた。それが最近は英語圏の書き方に習って変えているけれど。
差出人の住所でも、英語圏では表側に書くことになっているが、ドイツでは普通裏側に書く。
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まちづくりの考え方がとても理に適っている。景気対策のための公共工事、アメリカからの外圧をかわすための税制改革、などという国民不在、住民無視の政策は見られないようだ。
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古い町並みがよく保存されている。古い建物を大事に使っている。
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水辺−川や湖−がとてもきれいに保たれている。
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市電(路面電車)がとても発達している。
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自転車の利用しやすい条件が整っている。
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自動車のマナーがとても良い。
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ドイツ人はとにかく質素
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暑い季節だったが、冷房が入っている施設は殆どなかった。設備があっても僅かしか使っていなかった。
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飲み物にも氷が入っているということはまずなかった。マクドナルドではさすがに氷入りの飲料があったけれど。
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金額が分かりにくい
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果物をいくつか買って「ツバイ・ウント・ドゥライツィッヒ」(2と30)といえば、2マルク30ペニヒ(2.3マルク)だ。
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しかし、食事をして「ツバイ・ウント・ドゥライツィッヒ」(2と30)といえば、32マルクだ。
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右と左にご注意
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道を尋ねた時に「レフト」と聞いたので左かと思ったが、様子が変なのでもう一度聞き直すと「レヒト」(Recht:ドイツ語で右の意)だった。
とっても役に立つはちゃめちゃドイツ語
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ホテルに行って泊めてもらう時
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ハーベン・ジィー・ドッペル・ツィンマー Haben Sie Doppelzimmer? ツインルームはありますか?
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道を聞く時
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イッヒ・メヒテ・ナッハ・ムゼウム(・ゲーエン) Ich moechte nach Museum
(gehen). 博物館に行きたいのです。
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ヴォー・イスト・ホテル・インフォマツィオーン Wo ist Hotel Information?
ホテル案内所はどこですか?
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買い物をする時
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品物を指で指して、ツヴァイマル zweimal 2つ
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1つは アインマル einmal、 3つは ドゥライマル dreimal、 4つは フィアマル
viermal、 5つは フュンフマル fuenfmal
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お勘定をお願いする場合、アレス alles(全部という意味)
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電車などで
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フライ frei? その席空いていますか? フライ frei 空いています。
Kassebaum夫妻との出会いとその後
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スイスのグリンデルバルトのレストランでたまたま相席したのが最初の出会いです。
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ドイツのハノーバー近郊の街に住んでいるのだそうです。
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夫の方は学校の先生をしているとのことです。
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今年(1998年)4月に日本にやってきました。四国松山と岐阜を観光しました。私たちとはドイツへ帰る日の前日(4月18日)に会い、鎌倉を案内しました。ちょっとしたプレゼントをしたら、「日本ではどこへ行ってももてなす側の人がいろいろとプレゼントをくれる。ドイツでは訪問客はプレゼントを渡すが受け入れ側は何も渡さない」とのこと。
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