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− ドイツ・スイス・オーストリア −
その4
三度(みたび)ドイツです。
なかなか見物(みもの)ですよ!
オーストリアのザルツブルグで
1998年6月6日
1999年1月10日追加
1997.8.7(木) ウィーンWien→パッサウPassau
駅に着いた途端に「パスポートを見せろ」、しかもカバーを外して表紙を念入りに見たのには緊張したが、国境の町パッサウは実に素敵な町だ。夜の8時ごろに着いて予定していたホテルがやっていなかった時にはちょっと慌てたが、「鄙(ひな)にもまれな」とはこういうところのことを言うのであろう。
新婚旅行にはぜひおすすめの場所である。
レストランHotel Passauer Wolfの郷土料理Regional Menuも上品でおいしかった。「ビールは一般のかPassauのか?」と聞くので「Passau」を指名したが、なぜか怪訝顔だった。しかし、Passau
Beerは最高だった。
HOTEL GARNI Residenz PASSAU泊(175DM)
1997.8.8(金) パッサウPassau→ネルトリンゲンNoerdlingen
パッサウの街を散策。商店街を覗くと、民族衣装も普通の洋服も実にセンスがいい。陶磁器も良いものがある。そう言えば、泊まったホテルにもいろんな品物が展示してあった。大聖堂Domではパイプオルガンの優美な音色が鑑賞できたし。 |
大聖堂でのオルガンコンサートのチケット |
ひる頃の電車でネルトリンゲンに向かう。レーゲンスブルグRegensburgで乗り換え。待ち合わせ時間は8分あったはずだが、電車が遅れて2分ほどしかない。「急がなくっちゃ」。どこのホームへ行けばよいのかホームの時刻表で確かめる。「う? 100何番てなんだ!」。一体どこだ。慌てて駅員に聞くが、駅員がまた時刻表を見ている。駅員が「あっち」というより早く、地下道に続く階段の奥にそのホームへの案内標識が見えた。駅員へのお礼もそこそこにキャリーバッグを引っ張りながら走った、走った。地下道を抜けてからその電車までの長かったこと、長かったこと。電車は本当にローカル電車。レーゲスブルグ(雨の城)という名前どおり、時々雨が降る。
ようやくのことでネルトリンゲンの駅に着いたが、この辺から本当の旅が始まったといってよいであろう。ネルトリンゲンの駅に着いた時からゴロゴロと雲行きが怪しい。駅の近くにインフォメーションがあるかと思ったが全くなし。街へはどう行けばよいのかさへ皆目わからない。今にも雷雨がやって来そうで心細いったらない。駅の売店も閉まっている。仕方ないから駅員にガイドブックを見せながらホテルの場所を尋ねた。すると観光のパンフレットを取り出して説明してくれるではないか。助かった。
ホテルに着くや激しい雨が降ってきた。夕食を食べに行こうと思い、ホテルで聞いたら隣がレストランとのこと。しかし隣に行くと英語も通じない。どうやらここは飲み屋で食事はソーセージくらいしかないらしい。レストランは近くにあるかと聞いたが要領を得ない。でも「外が雨なので」というと傘を貸してくれた。そのとなりがレストランであったのでここで食事。
郷土料理を注文したが、メインディッシュは欧風煮込みうどんという雰囲気の代物。塩辛かった。キャベツの酢漬けも量が多くて、すっぱい。赤かぶの酢漬けは割とおいしかったので、Guteと言ったら「もっと食べる?」と追加を持ってきた。丁重にお断りした。レストランを出る頃には雨も上がり、借りた傘を返して街を散策。雨上がりの街はこれまたすがすがしい。
Hotel Garni - Goldene Rose泊(100DM)
1997.8.9(土) ネルトリンゲンNoerdlingen→ドナウエッシンゲンDonaueschingen
ネルトリンゲンは普通の観光コースにも入っていて人気のあるところだが、やはりおとぎばなしのような素敵な町だ。城壁をぐるりと回ってみた。
それから、昨日もらったパンフレットにある観光ルートRundgangに従って教会St.Georgskircheや市庁舎Rathaus、博物館Rieskrater-Museumなどを見学。教会の塔はダニエルDanielと呼ばれていてなかなか高くて、登りでがあるが、それだけに眺めも素晴らしい。塔に登るためのチケットを売っているのは、市の職員の人で、
夜は交替でこの人たちが塔の見張り番の仕事(14世紀以来ずっと続いているという伝統ある任務である)をして、「異常なし! 皆の衆、異常なし!」と夜遅くに叫ぶらしいのだが、私たちには昨夜、見張り番の声は聞こえなかった。
昼食用にパンを買って駅に向かったが、パンのショーケースに蝿がいっぱい入ってぶんぶん言っているのにも驚いたが、店員も客もそれに全く驚かないことにはさらに驚いてしまった。 |
新水車場Neumuehle |
13:39発の電車でドナウエッシンゲンに向かう。StuttgartとRottweilで乗り換えるのだが、Rottweilでの乗り換え時間が3分しかないのがちょっと心配。車掌に大丈夫かと聞いたら、同じホームでの乗り換えだから大丈夫とのこと。しかし、少しずつ電車が遅れていくので最後まで心配だった。結局2分遅れでRottweilに到着、かろうじて間に合った。
ドナウエッシンゲンの駅に着いたが、今日が土曜日だというのに現金の持ち合わせがDM200くらいしかないことに気づき困った。ホテル代はどれくらいかかるだろう? トラベラーズチェックは使えるだろうか? 月曜日まで両替は出来ないし…。と思ったところになんと自動両替機があるではないか。この旅行のためにと初めて作ったクレジットカードだから、自動両替機を使うのはこれが初めてである。操作方法に慣れない上、表示の言葉の意味がよく分からない。パスワードもはっきりしない。うろうろしているうちに時間切れでリセットされてしまう。3度目くらいでようやくお金が出てきた時は大感激だった。
ガイドブックを見ながらホテルに向かう。Hotel Ochsenはプール付き、大きくはないが気持ち良く泳げた。その後街を散策。ドナウの泉を見に行った。この町一番の観光ポイントなので
、小さな売店もある。パッサウで見たドナウはここから流れていくのかと思うと、ちょっと感激。そう言えばドイツの町の名前は「なんとかアムなになに」(なになに川沿いのなんとか)といった手のものが多い。ドイツ人にとって、川は昔からとても重要な意味を持っていたのだろう。傍らに立つ城は、もう時間が遅いので、しまっていて中を見る事はできなかった。庭園にはバラが咲き乱れているが、残念なことに少し盛りを過ぎていた。
夕食はイタリアンレストランでミラノ風リゾットとサラダ。店の雰囲気が暖かくってとても感じがいい。料理もうまかった。
Hotel Ochsen泊(104.76DM)
1997.8.10(日) ドナウエッシンゲンDonaueschingen→トリベルクTriberg
朝早くにトリベルクの駅に着いた。駅には当然のことインフォメーションがあると思い、小さな駅の中(とその回り)をうろうろ探したが全然ない。それどころか回りには家も店も何もない。仕方がないので駅の窓口で大声で聞いた。「ヴォー・イスト・ホテル・インフォマツィオーン?」。すると、駅員が立派なパンフレットを持ってきて、親切に教えてくれるではないか。立派な地図も付いていて、とても分かりやすい。「これ、もらってもいいの?」「いいよ」「ありがとう」。トリベルクの街までの坂道をバッグをゴロゴロと引きずって20分くらいか、手ごろな価格で感じが良さそうなホテルCentralに入った。
「ご用の方はブザーを」との表示にブザーを押したが、誰も居ない。しばらくして掃除のおばさんが気が付いて主人を呼んでくれた。このホテルの主人はよくしゃべり、よく動く典型的なドイツのおばさん。「グーテン・モルゲン。ハーベン・ズィー・ドッペルツィンマー・ホイテ・ナハト?」「大丈夫だけれど、まだ掃除中だから少し待って。待ってるついでに朝ご飯の食堂でも見ますか?」と食堂に案内されたが、何やら様子がおかしい。どうやら「朝ご飯まだなら食べますか?」と言っていたらしい。あわてて「もう食べたから要りません」と言うと、今度は「滝へ行くか? それなら、割引券がある。滝へはホテルの前の道をこう行って、あー行って…」。とにかくよくしゃべるし、その間にも他の客の朝食の世話やら代金の徴収やら、よく動く人である。
部屋に荷物を置いて、シュバルツバルト野外博物館Schwarzwaelder Freilichtmuseum
Vogtsbauemhofに行くことにした。ガイドブックに従いまずハウザッハHausachまで電車で。ここでグータッハGutachまでバスで出て、そこのインフォメーションへと行くつもりだったが、ハウザッハ駅前のバス停の時刻表を見てびっくり。今日日曜日はバスの本数が極端に少ない。1時間以上待たないといけない。タクシーにしようかと思ったが、タクシーはあれど運転手が居ない。駅に引き返し、駅員に聞こうと思ったが、先客がいる。やっと用事が終わったようなのでいよいよ僕の番と思ったら、窓口のカーテンを閉めてしまう。昼休みなのだ。さて、本当に困った。道路の向こう側の店で掃除をしているおばさんが目に止まり、何か方法がないか聞いて見よう。
「イッヒ・メヒテ・ナッハ・… Ich moechte nach…」「車Auto? それとも徒歩oder
zu Fuss?」「徒歩」「この道を行って、花屋のところを右に曲がれば行けるよ。20分くらい」。そんなに近いの? 後で分かったのだが、博物館はグータッハ村にあるのだが、グータッハ駅からはかなり遠い。博物館までの道はのどかな田舎道、なかなか気分がいい。途中で2組くらいとすれ違いざま、この道でいいのか聞きながら…。
野外博物館は、川崎にある日本民家園とまるでそっくり。ただし、水車を利用した石うすものこぎりもやたら大きいことなどが日本のとはちょっと違う。水を使うために丸太をくりぬいてパイプを作るための長いドリルもすごい! 管には、日本なら竹を使うところだが、こちらには竹がない。 |
野外博物館で
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トリベルクに戻り、ホテルでも紹介された滝を見に行った。なるほどホテルのすぐ近くだ。ここはまるで日本の山の風景だ。木曽の山の中にきたかのような錯覚。
ただし、松ぼっくりが極端に細長い。はと時計などのおもりはこれをかたどったんだと今更納得。巨大なナメクジも見た。
滝の入り口近くにあるシュバルツバルト博物館Schwarzwaldmuseumも圧巻である。数々ある自動楽器が今はコインで動く電動楽器となっている。音もいいし、見かけも美しい。
夕食は今日もイタリアンレストラン。昨日に比べれば小さな小さな店。若い主人が何もかも1人でやっている。チキンの定食だが、分量が多くて食べきれなかった。ちょっと脂っこかったし。
HOTEL Garni CENTRAL泊(98DM)
1997.8.11(月) トリベルクTriberg→リューデスハイムRuedesheim
トリベルクといえば時計である。時計屋に入り、掛け時計を買った。3つも買った。ここの買い物が最も高額だったが、それでもかなり安い!
トリベルクの駅に戻った時、「こんにちわ!」という日本語の挨拶。6人のグループである。内2人は子供。聞けば、茅ヶ崎から来たという。1人の女性は目が不自由な様子。別の人の説明で、この盲人が日本で(世界で)ただ1人の女性落語家「みなとやかもめ」さんだそうだ。ドイツに来て既に2週間、さらに2週間ユースホステルを中心に旅行を続ける予定とのこと。同じ電車に乗り、途中で分かれ、我々は、ライン下りをすべく、リューデスハイムに向かう。
リューデスハイムではガイドブックで「日本語が話せる双子が経営する」というHotel
Postに泊まることにした。1人がホテルを担当、もう1人が隣り合わせの土産物店を担当している風であった。
明るいうちにぶどう畑を歩いた。なかなか眺めが良い。殆ど人通りがない。
夕食は勿論つぐみ横丁Drosselgasseで。どの店にしようか入り口のメニューを見ながらうろうろしていると、あちこちから音楽が聞こえてくる。軽い食事にしようとそれらしいメニューの店に入ったが、その店Weinhaus
Drosselhofは期待外れであった。料理はまずく、ウェイターの態度も良くなかった。
Hotel Post泊(150DM)
1997.8.12(火) リューデスハイムRuedesheim→コブレンツKoblenz
土産用のワインがほしくてHotel Postに隣接の店で送料がどれくらいかかるか尋ねた。6本で87.5DM(5687円)、12本で139.5DM(9067円)だそうである。この辺のワインは大体1本10DM程度で買えるから送料の方が高い計算。やめた。
いよいよライン川下り。9時発のKD Rheinの船でコブレンツまでの4時間。とにかく暑かった。日本人、イタリア人、スペイン人、…、各国の団体客が乗り込んで、それぞれの添乗員が注意事項を客に伝えている。客も添乗員にあれこれと聞いたり、注文を言いつけたりしている。船が進むにつれ船のスピーカーから添乗員からの指示が流れたりもするが、スペインの添乗員の場合は客が添乗員を呼ぶ放送が幾度となく繰り返されていた。いちいち要求を聞いていたら際限がないので添乗員が雲隠れしたのか。
コブレンツに到着し、船着き場近くのインフォメーションでホテル案内も付いた市街地図をもらった。ここは無料。今日の宿は中央駅Hauptbahnhofの近くのホテルに決めた。そしてエーレンブライトシュタイン城塞Festung
Ehrenbreitsteinへはバスで。このあと、街の中心街を見学。八百屋で果物を買って、パン屋でパンを買い、駅前のマクドナルドで飲み物とシェイクを買って、ホテルで夕食。旅行中マックでの買い物はベルリンとここだけ。シェイクが冷たくておいしかった!
それから、果物を買った八百屋では豆腐も売っていた。
コブレンツの街で思ったこと。この街はSparkasse(貯蓄銀行)が非常に多いこと。どうしてこの街にはこんなに多いのだろう。日本のコンビニ並みである。そしてここの交通はバスが中心、歩いても知れてはいるが…。
HOTEL GARNI Reinhard泊(120DM)
1997.8.13(水) コブレンツKoblenz→ケルンKoeln→フランクフルトFrankfurt
am Main
ライン川沿いを9:37発の電車で移動する。ケルンの駅のすぐ横に有名な大聖堂Domが聳える。せっかくの大聖堂だが、改修工事中で半分立ち入り禁止は残念。でも塔を登りきれて満足。
ケルンにはSparkasseが全然見当たらない。代わってFast foodの店は非常に多い。
ケルン14:54発の電車は到着が遅れ、24分遅れで発車。途中もだんだん遅れてフランクフルト着は18時近く(定刻は17:08)。
今回の旅行の最後の宿は、日本で予約したHotel CRISTALL。部屋の表示を見るとTwinの料金は180DM。日本からのクーポンの表示は14000円。やはり日本からの予約は高く付くようだ。
最後の夕食は、Boersen-Kellerでドイツ料理。静かでとってもよい雰囲気だった。 |
ケルンの大聖堂
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Hotel CRISTALL泊(\14000)
1997.8.14(木) フランクフルトFrankfurt am Main→1997.8.15成田
飛行機は夕方6:15発だから、この日はデパートなどで買い物。時計は日本製が一番目立つ。土産にタイピンをと思ったが、いいものが全くなかった。そう言えば旅行中、ネクタイをしているドイツ人を余り見たことがなかった。
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旅行中のレート
1997年7月24日(成田空港 千葉銀行) 67.20円/DM
1997年7月25日(ドイツ VISAカード) 65.568円/DM
1997年7月30日(スイス VISAカード) 79.489円/SF
1997年8月1日(スイス Berner Kantonalbank) 0.81SF/DM
1997年8月日(スイス VISAカード) 78.650円/SF
1997年8月4日(オーストリア SPARDA BANK) 10.63円/ATS
1997年8月5日(オーストリア SPARDA BANK) 10.78円/ATS
1997年8月9日(ドイツ VISAカード) 63.426円/DM
1997年8月11日(ドイツ Sparkasse Villingen-Schwenningen)1.20DM/SF
1997年8月12日(ドイツ Sparkasse Koblenz) 0.1404DM/ATS
1997年8月14日(ドイツ VISAカード) 65.777円/DM
1997年8月14日(ドイツ VISAカード) 65.583円/DM
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